第47章   重要無形文化財能楽保持者の認定

第47章   重要無形文化財能楽保持者の認定

二度目の申請で重要無形文化財能楽保持者に認定を受ける。

 

独立とともに能楽師の節目になる重要無形文化財能楽保持者に47歳で認定される。

 

内部規定では初舞台から40年ということをきいていた。重要無形文化財保持者は個人指定だと人間国宝と言われる。

 

この時の認定は総合指定といわれるもので外部から入ってここまで来られたことは感慨深いものだった。また厳しく教えていただいた諸先輩がたにも感謝の念が湧き上がってきた。

 

流儀から文部科学省への一度目の申請では芸歴が足りず、事業仕分け問題で認定のない期間もあり、6年たってからの認定だった。

 

同世代の人は子どもの時から能楽の舞台に出ている人が大半なので、なんで君がいるの?という人も若干いたが、各流の家元はじめ人間国宝の方公認の認定なので何も気後れすることはないものだった。

 

30代の時にゴルフの送迎をした先輩が話していたことを思い出した。「50になってから能楽師のスタートに立てた気がする」

 

そんなことを思い出したら3年は早くスタートできたのだからより一層精進して最高の舞台作品をつくっていこうと行くという意思も強くなってきた。

 

 

20歳の時に能楽界に入ったときは自分で選んだことにもかかわらず師匠との関係や、稽古よりも雑用が多いことに辟易してノルマ的にこなしていることが多かった。

 

38歳の時に小鼓の音が全く鳴らなくなり、懇意にしている先輩からもこれ以上ならないと縁を切るという宣言をされ多こともあった。

 

そのときは、朝起きると鏡の前で稽古を始め夜中にうるさいという苦情を言われて時間がたっていたのに気づき、その後で音楽スタジオで稽古をするという生活も続いた。

 

そうした中で「考えること」「やること」は別にしなければいけないことを学んだ。

 

考えながらするというのは一見良さそうだが舞台は時間軸で流れていくので考えている時点で遅れてしまう。

 

考え抜いて、ただやる

 

うまくいかなかったらどうするか考えてただやる

 

そうしている打ちに思った通りに行くことがポツポツ出てきてその偶然を再現させるように繰り返す。

 

 

この小鼓方として一番過酷だったことが思い出された。歌手なら声が出ないのと同じ状態になっていた。

 

日頃褒められることのない生活だったので、日本国で能楽師として認められたこと自分の中の自信になった。

 

 

理想が明確になったら、その理想のことはいったん忘れる。その上で地道に目の前のことに取り組む。最後にはそんな小さいことの継続が認められる事も、このときに実感した。

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森澤勇司(もりさわゆうじ) 能楽師小鼓方 1967年東京都生まれ。 テンプル大学在学中に見たこともない能楽界に入門し32歳で独立。 1500番以上の舞台に出演している。 43歳で脳梗塞で入院、 退院後、うつ状態克服のため心理学、脳科学を学ぶ。 復帰後は古典的な能楽公演を中心に活動している。 著書『ビジネス番「風姿花伝」の教え』 明治天皇生誕150年奉納能、 映画「失楽園」、大河ドラマ「秀吉」に 能楽師として出演。 2014年 重要無形文化財能楽保持者に選出される もっと詳しく知りたい方はこちら