第50章   神社とお寺に立ち寄る習慣

第50章   神社とお寺に立ち寄る習慣

神社とのご縁

幼少のときの習慣や仕事柄、神社に行くことが多かったが三笠宮彬子女王とのご縁から神社に頻繁に立ち寄るようになった。これは大きな発見が多く能楽の神社にまつわる曲を見直すことができた。

実際に古事記、日本書紀を読んでみると方向性の全く違う書物だということが実感してきた。

能楽は日本書紀が出典のものが多いが、世間では古事記だと思われてる傾向がある。

そんなことを思っていると祖父がまつられている靖国神社の講演会の案内が届いた。存じ上げないが行ってみることにした。

全く前知識なく出かけたが、不思議なことに三笠宮彬子女王のお話は、次の日から授業で伺うエジンバラの話が中心だった。

エジンバラ大学に行く前にエジンバラのことが聞けるとは全く世の中は面白い偶然に満ちている。

自分の人生には定期的にパパッといろいろなことがつながることがある。このときもそんな感じだった。

2017年5月から2年くらい300箇所くらいの神社に回った。空気感に触れてみると能楽の台本に込められている言葉にならない意味とか登場する神への言葉にならない願いというものが感じられるようになった。

この間は特別意識して神社に行くというよりは今まで素通りしていたところに立ち寄るという感じだった。

【 学 び 】

海外の成功法則はキリスト教が土台になっているので、本田宗久、渋沢栄一をはじめとする日本の成功法則は浸透、仏教の信仰があってこそ意味のわかるものだということを感じた。

このあたりは話つながってこないというよりも聖書を読んでいて日本書紀で語られている意味がわかったり、法華経を読んでいて源氏物語のひとことの裏側に気づいたりかなり交錯している。

 仏教のルーツをたどる旅は果てしなく遠いが、日本は伊勢、三輪があるので神社は本場の空気を感じることが出来るのは素晴らしい。素通りしていたところを立ち寄るようにするだけでお参りしていたらすぐに300ほどになった。

何か惹かれるものがあって参拝した大神神社にはちょうど能舞台が新設されるタイミングだった。能楽の発展の兆しを感じるような嬉しいことだった。

 今年に入ってからは不思議なほどに寺に行くことが増え、急に予定がなくなったり、時間が空いてふとインターネットを見るとお寺主催の講座があったりとお寺で仏教に触れることが多くなった。なぜか曹洞宗に絞られてきているのにも不思議な導きを感じている。

 世阿弥は臨済宗よりで公案のような難問を課題にしているのでわからないと言われる。坐禅の公案を言葉で解説してわかるものでもないので能はわかりにくい一面があるというのも納得できる。

神社や寺にパワースポットを求めている人も多いが、ホントのパワースポットは自分の中にあるということも伝えて行きたいと思っている。

多くの人は自分の中のいいものやパワーの源は奥の方にあるように思っているが、むき出しに全部見えているものすべてが生命として輝いていると思っている。

2019年末までは朝起きても今ひとつスッキリしていなかったが2020年に入ってから急激に朝早くから活動するようになった。

朝も起きられず引っ越しの前からしたら抜け殻のようになっていた。

次の出版と健康

2020年元日に佐倉の麻賀多神社で奉納があり帰ってきてから急に何かがしたくなってきた。

1月4日には佐藤伝先生にご指導を受け今まで学んだことをきちんと本にすることを決めた。

 

2日には早朝から禅寺に行き座禅をして、3日も座禅にゆき朝の活動の弾みをつけた。

 

朝起きられるとすぐに活動ができるので仕事もはかどり元気も出てきた。

分子栄養学を学び、姫野友美先生、溝口先生の教えに触れられたことも健康に大きく影響した。

悪夢や虚脱感の原因と思われるビタミン、ミネラルなどの栄養素を補給して改善してきた。

精神論や悩みの解消法というのは多いが脳内ホルモンもタンパク質ということを考えると、心の問題はまず栄養素を整える必要があることも柔軟に受け入れた。

このあたりは職業的特性ではないかと思う。

小鼓方は、太鼓、大鼓に影響されて自分の手組みを帰るのでどんなに立場が上の人でも自己主張一本槍で舞台ができない。

「はいはい、そう来るんですね」

というレシーブ職人のようなところがある。

また内弟子20年もしているので周りの人に効果があるのかどうかも無意識のうちに観察しているようで改善例は多数目にしていた。

鉄不足の人が陥りやすい考え方、マグネシウムが足りない人の精神状態など、能楽に描かれている人物を見ても栄養不足のたまものといえる悩みは多い。

どれか一つの方法で根本的に改善することはない、体調が悪いのは心の問題でもあるが、栄養不足は外せない問題になる。

心と体の問題は分離することは出来ない。電池と電気のようなものだと思う。

自分としても総合的な能楽を知ってもらいたいが、実は栄養不足とわかる原因については、わかっているのに心の問題とはいえない。

これも一見舞台と関係ないようでいて、非常に大きく関わっている。何しろ人間がやっているものですから健康でなければ舞台に出ることが出来ません。

この「健康」ということを受け入れたら良いことが起こった。

お酒を飲むとビタミンを大量消費するので、医療用のビタミン剤をもらって飲んでいた。

効果のほどをきいてみると、飲酒は大量のビタミンを消費することを知る。普通にしていても足りないのにお酒を飲むとビタミンは大量消費される。

酒で流出したビタミンを補うためにビタミンを飲むという行為に、いやけが指して酒を飲むのをやめることにした。

やっていることが無駄になることに非常な嫌悪感がある。

これが不思議でぴったりと飲まなくて平気な人になってしまった。

手間をかけることは惜しまないが風呂の栓を開けたまま蛇口をひねるような蓄積しないことに我慢ができない自分を発見した。

神社にご縁が出来てから自分の生活がじわっと健康よりになってきたようです。

健康になってみないと、不健康はなかなか気づかないものです。

変わる瞬間はやってくる

 25歳のときにタバコをやめるきっかけは雨の日に布団についた匂いだった。

 酒は今までも飲まないようにしようと思うことは何度かあったがそこまでの実害は感じていなかった。

 それよりも能「紅葉狩」の詞章にある「ことに飲酒をやぶりなば邪淫、妄語ももろともに」という通り、人生を振り返ると「紅葉狩」を地で行くくらい自分の素行に問題を感じることがあった。その都度タイミングを見てやめようとは思っていた。

もう一つお酒がやめられたことにまつわる、どうしても嫌なことがあった。

医者との会話で「お酒はやめたほうがいいですね」と言われると「付き合いでなかなかやめられないんです」とか「1日どのくらいならいいですか」というような会話を耳にしていた。このまどろっこしい繰り返し会話が心の底から嫌いです。

医者に「お酒は乾杯程度に、、」と言われたら「すでに飲んでません」とスパッと会話を終わらせて、理想に向けてはっきりした会話をしたいことも大きな動機になった。

最近はこのきっぱりと切り替えられたことが喜べるようになった。

人生を無駄な反復に使わないことが実現したように思う。

 

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森澤勇司(もりさわゆうじ) 能楽師小鼓方 1967年東京都生まれ。 テンプル大学在学中に見たこともない能楽界に入門し32歳で独立。 1500番以上の舞台に出演している。 43歳で脳梗塞で入院、 退院後、うつ状態克服のため心理学、脳科学を学ぶ。 復帰後は古典的な能楽公演を中心に活動している。 著書『ビジネス番「風姿花伝」の教え』 明治天皇生誕150年奉納能、 映画「失楽園」、大河ドラマ「秀吉」に 能楽師として出演。 2014年 重要無形文化財能楽保持者に選出される もっと詳しく知りたい方はこちら