日本書記完読に向けて35週ネズミは走る兆候は如何に
35-0831
286→291
292→297
298→303
304→309
310→315
316→321
ルールは杖、地図、ガイド。上手くいかなくなったら立ち返ればスムーズに進む。守らなくてはいけないという被害者意識は本末転倒。完読まで決めた事なので淡々と続けようと思う。
当事者の意見無く、責任者も担当者もなくなし崩し的に物事がすすむ日本の悪しき習慣を体感できた。何かする際に目的はなにか共有が無い状態で物事を決めることの恐ろしさを痛感する。
9月に入り所属団体での手続きに関して手順を踏まないことのリスクを確認したばかり。社会のルールよりもコミュニティーのルールが勝ってしまったら反社会的な行為と変わらない。
「数多年鼠東に向きて行くは、これ柵造る兆か」
見事に柵ができた。社会とは隔離されたコミュニティルールができた。
兆候として放置すればより大きな問題を抱えることになる。一端が見えるが対処法は持ち合わせていない。
鼠は狭い空間ではあちらこちらと走り回り方向が定まらない。広いところに逃がしてみてどちらに向かったか見極めることができる。長期展望を判断基準にしない場合、目先のことに振り回される。
「山川に鴛鴦二ついて、、、」
これも鼠の件と同じく良い兆候になった。また今週は「ザル聞き」について考える機会があった。何度も同じ質問や会話がある。これは理解度の問題ではなく一種のコミュニケーションとしてとらえた方が良い。肯定のみ。
大鳥神社に日本武尊を参詣した。白い鳥の兆候は世界共通の吉兆として描かれる。
対人コミュニケーションの問題とは細かくそれを解決しても根本の問題は解決しない。天の采配に対してどれだけ誠実にいるかを重視したい。
墓を破られる遷すという記述がある。現代だったら経を唱え仏事をするだろうが、仏教以前の貴人の墓だったらはたして霊が喜ぶものなのか疑問に思った。
全く知りもしない後発宗教の呪文の効き目はいかに。
またネガティブな「しない」という力の影響力を強く感じた
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 鳥追 - 2024年12月25日
- 日本書紀 完読会 11週目感想 - 2024年12月25日
- 日本の成り立ちアーカイブ - 2024年6月4日
- 日本書紀 完読会 38週 感想 - 2024年4月21日