運と命【烏帽子折(えぼしおり)】から思うこと
今日は「運」と「命」とはなにか綴ってみます。
「運」というと「運がいい」とか「運が悪い」のように使われることも多いですね。「運」とは善い悪いがあるものではなく実ははじめからあるものです。
その前に能のできた時代の台本の中の運はどう使われているでしょうか。
能「烏帽子折」に大泥棒 熊坂長範(ちょうはん)が登場します。夜襲をかける前の松明で作戦が成功するかどうか占う場面があります。
「それこそ大事よ。それ松明の占手(うらで)と云っぱ。一の松明は戦神。二の松明は時の運。三は我等が命なるに三が三つながら消ゆるならば。今夜の夜討はさてよな」
松明を投げて火がそのまま燃えているか、消えるかで可否を占うものです。能「烏帽子折」では3回投げて全て消えてしまいます。それにもかかわらず準備をして獲物を前にした盗賊はストップする事ができません。結果、牛若丸に返り討ちにあい熊坂長範はじめ盗賊たちは全滅してしまいます。
同じ場面の回想シーンを描く能「熊坂」にはこのようなセリフがあります。
「運の盡きぬる盗人ら」
「運」はよくするという発想はなく「つきる」しかありません。
個人の「運がつきる」といえば命がなくなること。「社運がつきる」といえば会社がなくなること。「家運がつきる」といえば家系が途絶える事です。
つまり「運」とははじめから備わっているものです。そして「運」と「命」は同時に始まり同時に終わります。
「運」「命」「時間」はすべて同時に始まり同時に終わるのです。命はつきて時間は半年残っているなんてことはないですし、運だけ残ることもありません。
「運」とははじめからそなわっている。何かをするためのエネルギーです。運がよい、運が悪いというジャッジをするよりも「どう使うか」と云うものです。
スマホの電池の残量にも例える事ができます。よくする、悪くすることはできません。「どう使うか」です。
なんとなく使っていても電池もへり時間も過ぎていきます。そしてスマホの電池がなくなっているだけではなくいちばん重要な自分の時間も同時に使用していることを忘れてはいけません。
「スマホをどう使うか」と言われてもはっきり決めてないことも多いです。言葉を変えて「自分の時間をどう使うか」だったらどうでしょうか。
「運」「命」「時間」
「命をよくする」「命が悪い」「時間をよくする」「時間が悪い」はできません。
同様に「運」はよくするものではなく「どう使うか」を決めることで人生が有意義なものになっていきます。
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