【古代の時刻制度】斉藤国治 著
vol.299 2011年7月10日配信
『古代の時刻制度』
斉藤 国治 著
雄山閣
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『日本の場合は平安時代まで
定時法であったが、室町時代末期に時刻制度が
廃絶してしまい、江戸時代に再び復活した時には
明け六ツ・暮れ六ツを境とする「人の昼夜」による
不定時法になっていた。』
本文より
▼「何かが起こるポイントは?」
日本書紀、枕草子、宋書、随書などの文献から
古代の時刻制度について研究し天文学的な
裏付けを加えた一冊です。
現在の時刻制度では1日の初めは午前0時ですが、
かつてはどうだったのか。江戸時代、鎌倉時代、
平安時代の時刻制度
現在と同じ定時法なのか不定時法なのか
時計はどうしていたのか
など全て文献の中の天体の動きを
再現しつつ交渉されています。
文学者が資料を参考に交渉したものとは違い、
実際の天体の動きや天文現象の観測記録、
計算データから暦のズレや時差なども
考慮に入れ研究した結果がまとめられています。
現在使っているユリウス歴からグレゴリオ歴に
変わる際に誤差を修正するために
1年を355日にしてしまったのにもかかわらず
曜日は継続して並べていったという事例が
紹介されていました。
各種占いのできた時期と判別方法が
どこで修正されたのか興味深いところです。
グレゴリオ暦の修正方法、400年ごとに
閏年を平年にして3日間のずれを修正する方法と
その決め方は知りませんでした。
(1900年は閏年ではなく平年ということになります。)
平安時代が定時法で鎌倉時代後期から衰退し
江戸時代には不定時法になり明治6年に現在の
定時法になっています。
古典文学研究家も占いファンも
時刻や天体の動きは文献を読むための
基礎知識になります。
ぜひ読んでください。
_____
▼編集後記
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日もありがとうございます。
森澤勇司です。
この本に書かれている1日の始めが
午前3時頃だったという証拠の数々は、
昨日読んだ「星空案内人になろう!」で書かれていた
七夕とお盆の関係と共通するように感じました。
お盆が七夕の次の年の真ん中の満月の日
に異界との交信ができるという考え方と
この丑寅の間が1日の境目にあたり
やはり異界と通信しやすくなるという
考え方は共通した考え方で節目の作り方として
納得できます。
時間や方角の連続したものは
壁のようになっていて、その隙間に
通り道が出来ているという
発想なのかと思います。
それが丑寅で鬼門になり方角は北東と
結びついてゆくのですね。
どんな占いや予報にしても起源と
もとになっている考え方が
あると思います。
無ければなんの根拠も
ないことになってしまいます。
誤差の修正のために
付け加えられた日には
凸凹感があります。
仲間はずれな感じがして
その日にさわりが有るという考え方や、
区切りや曲がり角になる時間帯や
日に、何か起こりやすいという考え方は、
差別や身分感覚が薄くなった現在には
実感を得られない考え方かもしれませんね。
「何かが起こるポイントは?」
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