方丈記と易学【養老】
目次
能「養老」の中に引用された「方丈記」
↑こちらが能「養老」
↑こちらが「方丈記」冒頭の部分が「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にはあらず」
能「養老」には方丈記冒頭の部分が引用されています。鴨長明直筆と言われるものを見て気になるところがありました。原文は全体がカタカナで書かれています。それをみていて気になることがありました。それは「栖」「棟」という漢字の使い方です。木偏に西と木偏に東、普通に使ったというよりは対応させたように漢字を選んだような印象を受けました。対応、対比といえば陰陽、陰陽といえば易経が思い浮かんだので比べてみることにしました。
物語の順番
まず印象的な「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にはあらず」水のことが例に使われています。
次は安元3年4月28日(1177年6月3日)の大火、平安京を広く燃やした大火事のお話。これは火
次は治承4年4月29日(1180年)の辻風、ここで風のことが語られている
方丈記には日付はないが藤原定家「明月記」には4月29日と記載されている。
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「四月廿九日。天晴ル。
未ノ時許り雹降ル。雷鳴先ヅ両三声ノ後、霹靂猛烈。北方ニ煙立チ揚ル。人焼亡ヲ称フ。是レ飄ナリ。京中騒動スト云々。木ヲ抜キ沙石ヲ揚ゲ、人家門戸幷ニ車等皆吹キ上グト云々。古老云ク、末ダ此ノ如キ事ヲ聞カズト。前斎宮四条殿、殊ニ以テ其ノ最トナス。北壷ノ梅樹、根ヲ露ハシ朴ル。件ノ樹、簷ニ懸リテ破壊ス。権右中弁二条京極ノ家、又此ノ如シト云々。」(藤原定家(19歳)「明月記」)。
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次に養和(1181年)の飢饉、食べ物が欠乏していたことが語られる
次に文治地震(元暦2年7月9日午刻(ユリウス暦1185年8月6日12時(正午)頃、グレゴリオ暦1185年8月13日)ここで地震のことが語られる。
次に現在の住まい方丈のことが語られる。住まいの周りの景色のことが詳しく語られる。近くにすむ十歳の小童が遊びに来るというのが興味深いところ小童は10歳、鴨長明は60歳だが興味の対象が似ているので度々散歩をしているようなことが記載されている。
まとめてみると
①不定の習いを「水」
②火事を「火」
③辻風を「風」
④飢饉は?亡骸の額に「空」の文字
⑤地震「地」
⑥方丈の周りのこと
大まかにこんな分類の物語が綴られている。
それぞれを易の卦に変換するとどうなるのか
「水」と「火」水火既済
完成、成功を象徴するもの。様々な天災をうけてやっと落ち着く場所に暮らせた安心感、次に何があるかわからないという意味も含んだ水火既済、あとに出てくる「空」と合わせて著者の心に、地水火風空の五重塔ができたというメッセージのように感じています。
「火」と「風」火風鼎
鼎は調理の象徴、この次に飢饉の話が出てくる。食べ物を作る調理器具があっても中身の食材がなければ調理はできない。肉体があっても中身が入らない。そしてこのあとに疫病が広がります。仁和寺の隆暁法印という人が亡骸の額に阿字を書く話に続きます。阿字は「空」ですから空っぽの鼎と阿字の空、そして著者の心の中のポッカリとした空がつながっているようにかんじます。
「風」と「地」風地観
観察を象徴するもの、ここで方丈の周りの様子が語られているのは興味深い、そして突然登場する10歳の小童。観の初爻には「童観」。童観す。小人は咎なし。君子は吝なり。暮らしている人々には咎はない。「吝」は吝嗇、改めることを厭がり行きづまる象徴ですからこれだけの天変地異の続く世の中は君子の意識改革が必要だろうという言葉にはできない抵抗感をこの文章に込められているように感じる。
初六、童觀。小人无咎。君子吝。象曰、初六童觀、小人道也。
六二 {門<規}觀、利女貞。象曰、{門<規}觀、女貞、亦可醜也。
六三、觀我生進退。象曰、觀我生進退、未失道也。
六四、觀國之光。利用賓于王。象曰、觀國之光、尚賓也。
九五、觀我生。君子无咎。象曰、觀我生、觀民也。
上九、觀其生。君子无咎。象曰、觀其生、志未平也。
地水火風空ではないのはなぜか
「地水火風空」が方丈記では「水火風空地」の順番で並んでいます。これもまた疑問です。そこで「地」「水」と並べてみると「地水師」という軍隊を意味する卦になります。
実際にはつらつらと書き始めたのが、骨子ができてから易のメッセージをこめて短い文章を書き直したのか、、はたまた偶然そうなっただけで、私が無理やり易にこじつけているだけなのか。著者にあえたらこっそりと質問してみたいものです。
天災に加え人災である戦争を避けるために「地」と「水」が話されているのは偶然だったとしても平和な世の中を願う著者の気持ちが現れていると思っています。
まとめ
昨今では地震や戦争のことを忘れないようにしようという動きは多いのですが、直近のもの以外はどんどん風化してしまうもので、人間とは同じことを歴史の中で繰り返して生きています。この方丈記の冒頭の様々な変化というのは著者が生きた時代だけと捉えることもできます。自分自身の感想は、過去にも未来にも同じことが繰り返されている文明も滅び、新しい文明ができるという大きな流れから個人の生き方のパターンまで世の中にあるものははじめと終わりのサイクルがあります。日本に住んで入れば同じ天災は必ず起こります。なにかあってもすぐに対処できるような心構えは常に必要なことだと思います。方丈記は短いものですが、火災、地震、飢饉、疫病、必要最低限の生活、それぞれに自分ならどうするのか具体的な対応策を考えて読み進めたいものです。最後に、方丈記は著者の無常観を表現していると言われていますが、ただ無常なだけではなく平和に対する安心感や喜び、君主への言うに言われぬことなど強い思いというのも込められているように感じています。著者の思いというのはあるものですが、言葉は自分に何か新しい発想をするきっかけになってくれます。知識よりも、あっている間違っているよりも、自分の人生に必要なことを思いつかせるきっかけになる場合が多いです。ですから本の内容とは直接関係ない実行案が思いついてしまうこともあります。ひとそれぞれ受け取り方は違いますが平和への思いは共通して持っていたいものです。
おすすめ
岩波文庫の「方丈記」は原文の画像もついていておすすめです。一見難しい変体仮名という感じがしますがほぼカタカナです。本分は正味30ページ位の短編なので、現代の文章と原文を比較しながら読めるところがおすすめの点です。
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