日本書紀完読に向けて31週人の行為が星とつながる
142→147 ○○
148→153 ○○
154→159 ○○
160→165 ○○
166→171 ○○
172→177 ○○
今回の完読会は事前に目的設定を言語化し毎回の報告で確認することをしなかった。そのためにグループ内の週間報告をアウトプットにしてしまう事が起こってしまった。
インプットの為の報告は学びの為のアウトプットであって外部発信ではないがそれは個人の感覚としてとらえることにした。
先週の上宮太子崩御前年の天体現象の記録を見る。絵も残っていてインパクトのある出来事だったよう。
多くの場合、正義は自分目線で語られる。誰の視点で書かれたかは誰が正義かに寄るのは聖書と共通していると感じた。
今週は委員長をしている団体の会議があった。前年の担当者とはコミュニケーションがとれず全く物事が進まなかった。今年度は3人で集まって事務的な決め事がどんどん進む。
いつの時代も、どんなに優秀なメンバーがいても報連相というコミュニケーションがなければ個人でしているのと同じ。3000年前の太公望の伝書にも優秀な人物がいても優秀な意見が採用されなければいないのと同じと言うことが語られている。
人の問題処理能力よりもコミュニケーションがとれることがグループとしての能力が高まる事は必至の事だと感じる。
舒明天皇の御代から国内大臣の事が頻出するようになってきた。この人々のコミュニケーションがどうだったのか。今の国会や上宮太子の憲法17条を見ても報連相の細かな人の時には円滑な政治が行われていたように思う。
人生を無駄にしたくなかったら、返事が速い、進捗のコミュニケーションがとりやすい、計測できる目標設定と感情の分離、そのような人になることが大切だと痛感した。
『諸々の悪をな作そ。諸の善奉行へ』
これのひとつにはコミュニケーションがとれることが前提にある。とにかく「返事が遅い」という状況は今後一切なくすことにする。
返事がなければ死人と同じ。現世で生きていても死んだと思って諦めるという基準ができた。
そのためにも向かう前提を共有した上でのぶつかり合いができないと全く人生に変革がない。
日食の後の人の不祥事との結びつき
「夏五月にながめして大水あり」という状況も
天文現象や天変地異と人の行動が連動してしまう示唆のように感じられた。
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