日本書紀完読に向けて37週ネズミと馬と童謡の比喩
37-0914
358→363
364→369
370→373
5巻−1
016→021
022→027
028→033
36週間分の感想を読み返してみる。人は変えられないというというよりも規範に沿わない集団は早くに解散するほうが精神によい。
国立博物館には能楽に関係あるものも日本書紀ゆらのものも多数所蔵されている。神話は荒唐無稽なようでいて自分想像を超えた心理を伝えていることを感じる。
師がいくさに対応しているのは易経由来。全編通して易経の思想は強く流れている。
先週の読書範囲に「七世の父母を報いしむ」という文章があった。先の日曜日に勤めた「鳥追」に「七世の孫に逢へるとこそ」という文章に共時性を感じた。
あと7週間、7週間前は何を感じていたのか確認してみる。
「今回の完読会は事前に目的設定を言語化し毎回の報告で確認することをしなかった。そのためにグループ内の週間報告をアウトプットにしてしまう事が起こってしまった。」
目的の重要性を再確認できた。7というのは記憶に残る上限だと言われる。体の細胞が入れ替わるのも7年。しばらく7に注目してみる。
童謡(わざうた)は古い言葉だと知った。
童謡「まひつくつのくれをのへたをらふくのりかりがみわたとのりかみをのへたをらふくのりかりが甲子とわよとみをのへたをらふくのりかりが」
読み下しに疑問があるが原文からはこうなるよう。サリーちゃんの主題歌のように言葉遊びなのようにも思える。
臥薪嘗胆が違った形で語られている。道顕の日本世記という書物も読んでみたい。日本に来た外国人は多数いる。多くの人が日本のことを書き残したようにおもう。いずれ発見されたら面白そうだ。
文庫本では五巻目、天智天皇の御代になる。
「鼠、馬の尾に産む」という表現、道顕の夢判断のような解釈が面白い。やはり全般に日本は問があってこその神託があり、外国は解釈の世界だと感じる。
また女帝から男性天皇に変わると外国の話が多くなる。このあたりは使い分けがありそうな雰囲気。読み返すときに気にしてみる。
新羅とは長期間にわたり度々戦争をしている。全滅せずにまた体制を整え再戦する。アンパンマンとバイキンマンの戦いのように思える。
以前テレビで間人はペルシャ人だという説を語っている人が空いた。これだけ頻繁に出てくるとペルシャ人だというのは無理がある。同じ発音でハシがペルシャになる箇所もあるかもしれないが全体を見渡した上で部分を捉えたい。
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