【作者の図像学】ジャン・リュック・ナンシー 、フェデリコ・フェラーリ 著
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毎日1分!朝活読書。
vol.282 2011年6月23日配信
『作者の図像学』
ジャン・リュック・ナンシー
フェデリコ・フェラーリ 著
ちくま学芸文庫
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「彼は書いているのだが、
素描をしているのでも
絵を書いているのでもない。
日本人は二つのことを、
あるいは三つのことをいっしょにする。」
本文より
▼「作品とは何か?」
いろいろな場所にある肖像画や胸像。
それらは何を見ているのかという視点から
20の絵画や写真について考察した一冊です。
レンブラント「ホメロスの胸像を凝視するアリストテレス」
フェルメール「デルフトの眺望」を始め
名前のついてない人物写真などに何を見て
本人から離れてしまった肖像とは誰なのかを
語っています。
興味深かったのは川端康成さんの筆で文字を
書いている写真についてのコメントです。
フランス人から見ると不思議な光景のようです。
絵を書いているのでもなく、文字をかいているのに
物語を書いているわけではないとコメントしています。
また著者は「演劇」と「詩」は声を必要とする作品、
「詩」は好んで書にされる事を好む点が「小説」とは違うと
考察しています。
また「カーソル」と名づけられたものを、
記号でもなく、意味でもなく、
呼びかけ、衝動、脈動と解釈している
点は興味深いところです。
普段考えていないようなことを
指摘されて見たい方に特におすすめです。
全く関係なさそうな話題から問題のツボを
発見できることが有ると思います。
ぜひ読んでください。
_____
▼編集後記
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日もありがとうございます。
森澤勇司です。
作品というのはあまり意識していませんが、
それぞれ求められている物が違いますよね。
小説なら紙で読んでも、画面で読んでも
ゴシック体にしても、明朝体でも
作品として成立します。
(表紙も含めたデザインとなると話はべつですが)
「書」は書かれた内容もさることながら
とうぜん書体や墨のカタチなどデザイン面も
評価の対象で書く文字の選択はあまり重視
されてはいないようです。
「水墨画」と「書」は同じではないですが、
評価のポイントは近いところがあるような気がします。
「音楽」はカタチに残らないと言いながら
CDやビデオで繰り返し鑑賞できるところは
「絵画」と変わるところはありません。
これは「演劇」も同じです。
書が演劇と同じ評価基準だったら
人前で書くというパフォーマンスを
常に要求されるでしょうがそんなことはありませんし
小説ならこんなパフォーマンスは、ほとんど
求められることがなく「残像」が作品として
生きてきます。
さて「能楽」を作品として評価するポイントは
どこにあるのでしょうか。
「作品とはどういうものなのでしょうか?」
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