【ピアノと平均律の謎】アニタ・T・サリヴァン 著
□□□□□□□□□□□□□□□□□
毎日1分!朝活読書。
vol.283 2011年6月24日配信
『ピアノと平均律の謎』
アニタ・T・サリヴァン 著
白揚社
□□□□□□□□□□□□□□□□□
「平均律で過去百五十年調律されてきた
私たちのピアノに、果たしてハーモニーは
あるのだろうか?あるとは断言できない。
私たちは妥協したのである。」
調律師:アニタ・サリヴァン(1942~)
▼「調律ができたとは?」
「私たちは好んで平均律を選び取ったわけだが、
そのさいやむなく捨て去ってしまったものを
取り戻すことができたとしたら、果たしてそれは
何なのだろうか?平均律に不満を感じる権利が、
私たちにあるのだろうか?」
ピアノ調律は哲学だと著者は語っています。
考えてみればチューナーで合わせるだけの
チューニングなら自転車のサドルの高さを
あわせる程度の難易度です。
どのくらい音の高さを”加減して”外してゆくか
に深い考えが盛り込まれています。
章立ても「1度音程」「2度音程」というように
「9度音程」までそれぞれの考え方を語っています。
この本に興味がわいたのは
調律ということへの興味と
本文冒頭に日本の昔話に出てくる
龍の7番目の子どもに
ピアノ調律を例えていることからです。
龍生九子の事を書いた
「南総里見八犬伝」の事らしいのですが
著者の自宅にも「The Sevens Doragon:Piano Tuning」
という看板が掛けられているほど思い入れがあるようです。
日本の物語への興味が、全く関係のなさそうな
ピアノ調律の本の理念から引き出されるというのは
面白いですね。
ぜひ読んでください。
_____
▼編集後記
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日もありがとうございます。
森澤勇司です。
ピアノの調律の本を読んでみると
千利休の掃除の話を思い出しました。
落ち葉を綺麗に掃除した弟子に
まだ出来ていないと言って
気を揺らし葉を落とした。
という話です。
調律が哲学だとすると同じ考えの
行為のように感じました。
このさじ加減が人の心を動かすのですね。
音に関しては専門的に勉強しないと見えにくい
所かもしれませんが、葉っぱなら「あと1枚」
多い少ないで面白さの変わる微妙な
感覚なんでしょうね。
「調律が出来ているとはどんな状態でしょうか?」
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 日本の成り立ちアーカイブ - 2024年6月4日
- 日本書紀 完読会 38週 感想 - 2024年4月21日
- 20240414 日本書紀完読会37週目 - 2024年4月14日
- 日本書紀 完読会 35週目 - 2024年4月14日