溝の口「桜の下で君と」みる「流れる雲よ」「マザー」は初台
昨日はまきりかさんの「桜の下で君と」を鑑賞してきました。
アップダウンの熱い舞台で8月31日には追加公演が決まったそうです。
溝ノ口劇場です。
今年は縁あって大林素子さん主演の「MATHER」「流れる雲よ」「桜の下で君と」と個人的には苦手なテーマの演劇を続けて見ることができました。
戦は常に上書きされる。
壇ノ浦を忘れないようになんて人は周りにいませんし、
勝ち組みが
負けた国の弔いはしない
日露戦争の敗戦国被害者の追悼しようなんて話は身の回りで聞いた事もありません。
敗戦国だから記憶している事がある。
今年はそうした意味で同じ特攻隊を扱った演劇に出会いました。
日本が勝った戦の被害者は同じことを感じているのだと日本の話でありながら、登場人物は全敗戦国の代弁者のように感じました。
いずれにしても入隊した時は軍人かもしれませんが、戦時中はおおよそ一般の民間人の集まりです。
自分の中では74年前も800年前も戦に巻き込まれた人の痛みは同じものだと思ってます。私は戦の痛みは能という方法で、先の大戦には各種会報で触れています。
まきりかさんの作品は「DAICHI」「カイ」とこの「桜の下で君と」と三作体験しました。
再現ドラマ的な演劇ではないところが素晴らしいです。
まきりかさんの作品はハーモニーが美しいです。
また登場人物が2人と絞っている事で、逆に背景の出てこない人物がうかんできます。
8月31日の追加公演おすすめです。
さてさて演劇でも小説でも特攻隊の話題が出ると知覧の話題になります。
それはそれで感じるものは多いものです。
遺族はそういうことよりも毎年の弔いだったり、法要だったり地味に74年間過ごしているものです。一過性のものではなく生きている限り淡々と続けるものでしょう。
そんなことを思ってみるとすでに多くの遺族が高齢になり、私達、孫世代も還暦すぎる人も出てくるような年齢です。20代の若者を嘆き続けるのもそれはそれで全く知らない人にとっても後世に伝えたいと思う心を揺さぶるものが在ると思います。
それでも特攻の父と言われた大西瀧治郎氏が割腹したのは55歳です。
同じ立場になったらどうするかということを思うのは飛んでいく法ではなく飛ばせる方の立場なのではないかと思うようになりました。
同級生にも政治に関わる人が出てきています。自分だったら「飛ぶ」「飛ばない」ということではなく。同じようなことが起こったら征けと行ってしまうものなのか。日常でそういう流された生き方をしていないのか。そういうことを真剣に考える年齢になっていると思うのです。
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