ヒトの寿命【白鬚】
前回「命」を捉える感覚を「茶」という言葉で考察してみました。
一般的な意味での命、ヒトの肉体の寿命について『聖書』『日本書紀』『古事記』そして能「白鬚」の記述を比較してみます。
【聖書】
「主は言われた。 「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。」
創世記 6:3 新共同訳
創世記に登場するヒトの寿命は900歳を超えています。時間感覚も現在と同じようなイメージがあります。そもそも歳の取り方や時間感覚が寿命に比例するようではいくら延長したところで長いという感覚は全くないでしょう。吉田松陰が『留魂録』で語ったように人生の四季が一周ならば短くても長くても充実感は変わりません。聖書の時間感覚では百二十歳はだいぶ短縮された感覚に感じられます。とはいえ当事者ではなく個人的な感想です。
【日本書紀】
仮使天孫、妾を斥けたまはずして御さましかば、生めらむ児は寿永くして、磐石の有如に常存らまし。今既に熱らずして、唯弟をのみ独見御せり。故、其の生むらむ児は、必ず木の花の如に、移落ちなむ」といふ。一に云はく、磐長姫恥ぢ恨みて、唾き泣ちて日はく、「顕見蒼生は、木の花の如に、俄に遷転ひて衰へなむ」といふ。此世人の命短き縁なりといふ。
【古事記】
我が女二並べ立奉れる由は、石長比売を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零り風吹くとも、恒に石の如くにして、常磐に堅磐に動かず坐さむ。また木花之佐久夜毗売を使はさば、木の花の栄ゆるが如く栄え坐さむと、うけひて貢進りき。此の石長比売を返さしめて、独り木花之佐久夜毗売を留めたまひつ。故、天つ神の御子の御寿は、木の花のあまひのみ坐さむ」とまをす。故是を以ち今に至るまで、天皇命等の御命長くあらざるなり。
『日本書紀』『古事記』ともに瓊瓊杵尊が大山祇神の娘 姉妹のうち姉のイワナガヒメを返したことにより寿命ができたと語られています。垂仁天皇が皇后の遺言で後宮を迎え入れる部分で全く同じパターンの物語があります。
能「白鬚(しらひげ)」
「その後、人寿。百歳の時。悉達と生まれ給ひて。八十年の春の頃。頭北面西右脇臥拔堤の波と消え給ふ。
ー中略ーわれ人寿、六千歳の始めより。
ー中略ーわれ人寿二万歳の昔より。」
能「白鬚」ではヒトの寿命が100歳、6000歳、20000歳の時の出来事が語られます。中世ではヒトの寿命は84000歳あるという説も広まっていました。100年に一歳ずつ減っていって寿命が100歳になるとまた100年に1歳ずつ増えていく。また一説によれば100年に一度天女が舞い降りてきて羽衣で岩をひと撫でする。その岩がなくなるまでの時間が1劫という単位になっています。
こう並べてみるとほんとはどうなっているかとか平均寿命はあまり意味がなく感じます。平均身長に合わせて服を買うことはありません。
それと同じように自分の役割、一生のうちに成し遂げたいこと、今日できることに取組んでいくのが人生の充実に思えます。
昨今、占いなどで統計学という言葉が使われることがあります。もし本当に統計学ならば自分のデータも統計に加えて貰えばよいのです。
平均身長は自分のデータも含めての平均です。過去の平均値が自分とかけ離れていたとしても自分のデータを加われば平均値が変わるだけですね。
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