拒絶と受け入れ【張良】
拒絶と受けいれ
何か学ぶ時、スッと入ってくる事柄があります。反対に反復しても全く記憶に残らない、ピンとこない事もあります。
そんな時に心はどちらを向いているのか剥き出しになっているという伝説です。
いつでも受け入れ体制ができているという表現のひとつが「準備して待つ」という行為です。
能「張良(ちょうりょう)」では重要な事柄を受け取るのに、その資格があるのかテストされる場面が出てきます。
古代中国の軍師 張良は始皇帝暗殺に失敗した後、公務に忙しく暮らしています。
ある時、夢の中に1人の老人が現れます。
馬に乗った老人は沓(くつ)を落とします。
張良はそれをひろって履かせます。もし本気だったら5日後にここに来れば兵法の奥義を伝授すると言われて夢が覚めます。
そして5日後、、、
半信半疑でその場所に行ってみると馬に乗った老人がそこにいます。
「待つかひもなし早帰れ。汝、誠の志、あらば今日より五日に。当たらんその日、夜深く、来たらば我もまたここに。必ず出会ひ約束の如く伝えん。遅れ給ふな張良」といっていなくなってしまいます。
そして5日後、、、
今度は正装し夜明け前から約束の場所に向かいます。
そこに馬に乗った老人が現れます。この老人は沓を川の中に落とします。張良はその沓を拾うため川に飛び込みます。大蛇が現れ張良に遅いかかります。
呑まれそうな川の流れ大蛇と戦い老人の沓を取り戻します。
老人は「善きかな善きかな」と喜び巻物と秘伝口伝を張良に伝えます。そして張良を邪魔した大蛇は、張良が本気かとうか確認するため姿を変えた観音菩薩。これからは守護神となると約束します。
この老人は黄石公(こうせきこう)、秘伝書は『六韜(りくとう)』という書物だと言われています。
日々忙しくしていると自分の未来の姿を信じきれなくなってきます。
能「張良」に登場する大蛇は、毒親やドリームキラーという存在かもしれません。一種の本気度テストです。
日々忙しくて邪魔が入り忙殺されそうに感じる時や現状から逃避したい時、1分、2分、ちょっとの遅刻がチラチラ出てきます。
この「遅刻」という言葉は新しい言葉です。かつては「遅参(ちさん)」
時間に来たかどうかよりも、相手を受け入れ姿勢ができた状態で迎えられるのかどうか。
そもそも「時、人を待たず」時は勝手に流れていきます。
何か重要な教えを請うとき、自分が本気で取り組もうとしている事がある時は、時計のメモリを基準にするよりも受け入れ姿勢を整えておきたいものです。
この能「張良」の解釈のひとつは下記のように見ることができます。
張良の日常→自分の日常
夢→直感、神仏からのメッセージ
黄石公→メッセンジャーの役割
沓→やり方、手段
大蛇→本気度テスト
待っているか遅参するか→本気かどうか
このようにちょっとした遅参が「あぁこの人本気じゃないなぁ」受け入れ姿勢ができてないなぁと思われることは多いです。
こじつけ、決めつけはよくありませんが、相手の時間は相手の命、運と同じもの。尊重していた方が無用なトラブルはありません。
そして時間を守るのは1番簡単なシンクロ発生法です。
その時間に行けばほぼ確実に必要なモノや人に出逢える。こんな約束されたシンクロをあえて遅参して放棄するほど勿体無いことはありません。
そして重要な事を伝授する時に靴が関わる記述を『聖書』に見つけました。
———————————
「かつてイスラエルでは、親族としての責任の履行や譲渡にあたって、一切の手続きを認証するためには、当事者が自分の履物を脱いで相手に渡すことになっていた。これが、イスラエルにおける認証の手続きであった。 その親戚の人は、「どうぞあなたがその人をお引き取りください」とボアズに言って、履物を脱いだ。」
ルツ記 4:7-8 新共同訳
—————————————
現在、靴はなんでもなく当たり前に履いています。足の裏を怪我したら動けなくなります。危険な場所で動けなかったら死んでしまいます。数千円のサンダルであっても実は重要な生命保護装置なんですね。
約束の場所に連れて行ってくれるのも靴です。そしてその待合せが期待されていたモノなのかどうかは靴の手入れで見分けられてしまいます。
出かけに靴の手入れをして遅参しないよう準備は思いついた時にしておくのがおすすめです。
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 拒絶と受け入れ【張良】 - 2025年5月14日
- 『イライラ、さよなら。』堀内 恭隆 著 - 2025年5月13日
- 不思議な共通点 - 2025年5月13日
- 髪型は行動に影響する? - 2025年5月12日
コメントを投稿するにはログインしてください。