三島由紀夫生誕100年記念公演

NY公演終わりました。
三島由紀夫生誕100年というテーマの公演でした。『近代能楽集』に収録されている戯曲の原曲が並びました。
「邯鄲(かんたん)」「弱法師」「綾鼓」「葵上」
約40年前『近代能楽集』は能楽をはじめる少し前。能楽が何かわからないので近くの書店で購入した本です。
タイトルに「能楽」とあったので中身もよくわからず入手。開いてみて「これって能?」という疑問を持ったのと間違えて買ってしまった残念感を覚えています。
その後、一緒に購入した『行動学入門』の一文で本格的に能楽を続けてみる事を決めました。
はじめるきっかけは仏間で見た夢。継続するきっかけは『行動学入門』
それらを手にするきっかけになったのが『近代能楽集』でした。
40年経ち『近代能楽集』に収録されている戯曲の元になった能は全て勤めることができました。
「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町(卒都婆小町)」「葵上」「班女」「道成寺」「熊野」「弱法師」
『近代能楽集』の演劇も美輪明宏さんはじめいろいろな方の舞台も拝見することができました。
『行動学入門』の中の松本幸四郎さんの「勧進帳」もご縁あって拝見できました。
楯の会の元メンバーや事件の日に市ヶ谷にいた方、直接の知り合いや、全集の通読などご縁がまわってNYで能楽の舞台に出演させていただけました。これははじめる前の自分と対話しているようで感慨深い体験になりました。
ふらっと入った書店の文庫本が40年経ってつながってくる。そんな点が線になる体験は三島由紀夫のラビリンスに入ってしまったような感覚になる事があります。
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『行動学入門』三島由紀夫 著
芸能の本質は「決定的な事が繰り返され得る」とというところにある。だからそれはウソなのである。先代 幸四郎の一世一代の『勧進帳』といえども少なくともその月二十五回は繰り返された。『葉隠』の著者が芸能を蔑んだのは多分このためであり、武士が凡ゆる芸能を蔑みながら、能楽だけを認めたのは、⭕️能楽が一回の公演を原則として、そこへこめられる精力がそれだけ実際の行動に近い一回性に基づいている、というところにあらう 。
二度と繰り返されぬところにしか行動の美がないならば、それは花火と同じである。しかしこのはかない人生に、そもそも花火以上に永遠の瞬間を、誰が持つことが出来ようか
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※画像は催しのプログラムです。
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