ドレミの日にちなんで
ドレミの日
6月24日は音階にドレミファと名前をつけたきっかけになった日だそうです。1024年というと日本では平安時代です。雅楽もおよそ現在まで伝承される形になってきた時代です。
ドレミの元といわれる「聖ヨハネ讃歌」はこんな歌詞です。
Ut queant laxis
Resonare fibris
Mira gestorum
Famuli tuorum
Solve polluti
Labii reatum
Sancte Iohannes
能楽でも音階はありますが、ドレミに当てはまる音階ではないですからピアノでは弾けません。スティーブ・ヴァイなら再現できそうです。
能で使っている音階は雅楽を模したものですがかなりの幅があります。同じ音程で2音くらい幅があります。
雅楽の十二律はおおよそピアノの鍵盤12音と対応できます。
ピアノを雅楽の音程で調律したらコラボも美しいかもしれないですね。
能楽も1番使うのは「黄鐘(おうしき)」という音程です。およそ「A=ラ」ということになっていますが洋楽ピッチからすると人によってかなり差があります。
東洋の音階は伝説の楽人 玲倫(れいりん)が作ったと言われています。
黄帝の時代、音を決める担当者にえらばれます。あるとき鳳凰の鳴き声をきき竹を切ってその音程を決めたと言われます。
一説には粟の粒を並べて長沙を測り竹を切ったとも言われています。その計算方法は三分損益法として伝わっています。
ピタゴラス音階とも似ているので「幾何学」好きな方は自分で計算してみると現在の平均率とどのくらいズレているかわかります。
明治以後の日本は洋楽教育が主流ですから音階は海外から入ってきたものと思っている人も多いかもしれません。
この音程を題材にした能もあります。能「玄象(げんじょう)」は琵琶の名前です。
琵琶の名手 藤原師長は音楽修行のため中国に渡ろうと須磨に向かいます。そこに現れる老人夫婦。
その老人夫婦の塩屋に泊めてもらうことにします。師長の琵琶は龍神も愛で日照りの時も雨を降らせたと言います。
そこで師長が琵琶を弾き始めるとにわか雨が降ってきます。
その時、その老人はヒサシの板を苫で覆います。
この時、師長が雨ももっていない板をなぜ苫でおおうのかと訊ねます。
老人「さん候、ただいま遊ばされ候、琵琶の御調子は黄鐘(ラ)、板屋を敲く雨の音は盤渉(バンシキ=シ)にて候程に。苫にて板屋を葺き隠し。今こそ一調子になりて候へ」
音程が合わないので雨の音が板を鳴らさないようにしたと語ります。
この只者ではない老人夫婦は琵琶の名手 村上天皇と琴の名手 梨壺の女御(2人の霊)だと告白し消えていきます。
後半は村上天皇が竜宮に取られた「玄象」を龍神にもって来させ師長に授けます。そして師長は帰っていきます。
禅僧 沢庵和尚の『不動智神妙録』にも音程を語ったところがあります。
はじめと終わりは同じ心になるという例えです。
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『不動智神妙録』沢庵 著
これ初めと終とおなじやうになる心持ちにて、一から十まで数へまはせば、一と十と隣になり申し候。調子なども一の初めの低き一を数へて上無と申す高き調子へ行き候へば、一の下と一の上とは隣に候
1、壱越(D)、
2、断金(D♯)
3、平調(E)
4、勝絶(F)
5、下無(F♯)
6、双調(G)
7、鳧鐘(G♯)
8、つくせき(黄鐘A)
9、蛮(鸞鏡A♯)
10、盤渉(B)
11、神仙(C)
12、上無(C♯)
づっと高きと、づっと低きは似たるものになり申し候。仏法もづっとたけ候へば、仏とも法とも知らぬ人のように人の見なす程の、飾りもなくなるものにて候。
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途中にいる人は座禅や掃除など手段にこだわっている。何も知らない人と長年修行した人は同じようにこだわりもなくなっているような内容です。
私はまだまだ半ばなので手段にも拘りつつ進んでいこうと思ってます。
そんな感じでドレミの日にちなんで音程のことを少々綴ってみました。
※画像は音程をはかる十二律管の蒔絵の小鼓です。玄象を勤める機会があったらこの胴を使ってみようかと妄想してます。
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