「予想」と「理想」

活は『春秋左氏伝』『日本書紀』『聖書』
朝活と100日チャレンジのおかげでなかなか手につかなかったことがジワジワと進んでいます。
今日はなにかと『易経』の話題が出ました。
『春秋左氏伝』にもしばしば易で占う場面が登場する。
自分の将来のことを占ったことは2回あります。
1回目は23歳の時、友人が見てもらいたいというので、一緒に見てもらう。その時は何だか分からず占ってもらいました。あとから易だということを知りました。この時83歳までは〇〇というようなずいぶん長い期間のことを紙に書いてもらいました。
2回目は53歳のとき『易経』も学び自分でも卦を立てるだけでなく日本文化との繋がりも広め始めた時。
これは自分で占ってみました。
なんとこの2回全く同じ卦でした。自分のことを見たのはこの2回のみ。なんども見るものではないですしこれで易経的な自分の人生は見られたのでまあもう見ることはないでしょう。
占いというと当たるとか当たらないとか、人の批判に終始してしまうことが多いものです。自分の将来よりも人の批判が記憶に残っては本末転倒です。
そして思うことは「予想」と「理想」の違い。
『易経』は天気予報のようなもの。
鍋に水を入れて火にかける。
このままだとお湯になって、さらに放置すると蒸発してしまいます。これは「予想」
途中で火を止めてお湯で鍋を洗ってしまうとか、
お湯が沸いたら具を入れてスープを作ろうとか、
それが「理想」
『予想』というのは対策の目安になりますが将来を決めるものではありません。
それなので『易経』をはじめとした占いで未来がわかるわけではなく、未来は自分がどこに行きたいか決めることで行き方が出てきます。
そんな事を思い出しました。
※画像はAIで生成しました。
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