無知と平常心

無知と平常心
昨日、小学生に混じって将棋をしてきました。
小学生1年、2年の低学年のお子様です。
講座内容は四軒飛車という左から四筋めに飛車を移動させる攻め方です。
私は全く予備知識もなく何がよいのかもわからない状態で参加。
講座が始まるとお子さまたちは「あっそれじゃない!」「危ない!!」など盤面のコマの動きに反応しています。
私はある意味「平常心」
これがタイトル戦だったら心臓飛び出るくらいの緊張があるかもしれません。
同じ盤面を見ても「、、、」「危ない!」「大丈夫」など人それぞれの反応があります。
ちょうど昼間に沢庵和尚の話題が出ました。
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『不動智神妙録』沢庵
最初と最後は似たようなものだということでしょうか。一から十まで数えていけば、一と十は隣になります。
音の高さを表わす調子でも、一番低い「壱越=D=レ」から、だんだん上げていって、同じ調子の高い所が「上無C♯」となり、その上は、上の調子の壱越です。
つまり下の調子の最高は、上の調子の最低と隣あわせになるのです。
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雅楽の十二律は三分損益法で計算してありますからピタゴラス音階に近いものです。
レがだんだん上がっていくとまたレになって同じ調子になってくる。
全くわからず平常心でいられるところから、少しわかってくると「隅に気をつけよう」とか「全体を確認」とかさまざまな注意点を気にするようになってきます。
それがどんどん進んでいくと始めた時と同じような精神状態になることを語っています。
じゃ何が違うのか??
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『不動智神妙録』沢庵
初心の頃の無明と残像、それに修行した果ての不動智とが一つとなって、無心無念になりきることができるのです。
最高の地点に到達すれば、何をするにも⭕️手足がひとりでに動いて、そのことに少しも心をわずらわせないようになるということです。
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初心者は平常心であって手も足も適切に動かすことができない。
極めた人は平常心であって手足が勝手に動いている。
平常心だけ求めたところで何もうまくいきません。
とはいえ、何十年経っても感じられるかどうかわからない平常心をいま感じられていることに感動しました。
平常心だけを求めるものでもなく、子どものように一喜一憂して楽しんで何十年も経つとある時、平常心になっていることに気がつくようなものでしょう。
という事でまずは一喜一憂できるところを目標にしてみようと思います。
※画像は昨日使った将棋盤です。
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