日本書紀完読会 第四期 10週目感想
20231008
52−87
垂仁天皇の最後の場面。清彦の出石伝説、田道間守の非時香菓の伝説はちょうど「午前3時の手帳会」で今週お話をしたところと一緒になった。1週間に一度でも講座ができていることがありがたい。
田道間守は偶然なのか本年、新作能の再演があったようだ。二荒山神社にも祀られていた記憶が蘇ってきた。
改めて表題とは思い込みが強くなるものだと感じでいる。淡海三船がつけた天皇の呼び方が染み付いてしまっている。本文はここ切り離して読み進めようと思う。
次に景行天皇の御代に入る。『日本書紀』本文には記載していないが、当然、田道間守とは面識があるわけだし陵での出来事も景行天皇はじめ多くの人が間近でみていただろう。
単なる歴史浪漫的空想ではなく、葬儀なら喪主、参列者がいるというごく当然のことを思い描いて読んでいた。
自分が皇太子になった時、夢占いであったのに息子たちには決めるための方法を示していない。それだけ思い入れがあったのかもしれないし、子が多すぎてあまり決めようという意識がなかったのかもしれない。
長兄 大碓命は久しぶりに復命せずという態度をとる。中国平定の担当者から天稚彦の神話のテンプレートがここで現れる。
以前は神話の部分だけ面白いと思っていた。神話の部分は重要であっても序章であってメインではない。しかもその後に起こる出来事のパターンを表している。
ここも「復命せず」=「死」を意味している。返り矢は弟になるのだろう。
その後、鼻垂をはじめとするまつろわぬもの、土蜘蛛などを征服する。この辺りは短い記録ではあるが激しい闘争があったことが推測される。
日本武尊の女装して熊襲を打つ場面も、八岐大蛇に酒を飲ませたテンプレートに通じている。
旧約聖書、新約聖書の対比のように神話も歴史部分との対比で理解が深まる。
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