古事記 完読会 1週目 感想
1①序文⭕️⭕️
②古事記の企画⭕️⭕️
③古事記の成立⭕️⭕️
④特別な天つ神と神代七代⭕️⭕️
⑤おのころ島⭕️⭕️
⑥二神の結婚⭕️⭕️
『日本書紀』完読会は4期目にはいる。『古事記』はクラブハウスでも完読会をしたことがあり読む気になればよめるだろうと思ってあえて完読会はしていなかった。
改めて読んでみると通説、思い込みというものを強く感じる。まず日本最古の歴史書という部分。
歴代天皇も網羅されていつわけではなく年号も入っていない。これを歴史書というのだろうか。
もし日本初なら日本語の表記もかなり不完全なものではないだろうか。試行錯誤の末近い発音を表記していると推測される。
そして現代語訳の易経の部分も平たく訳されているのでざっと意味を知るにはありがたい部分。深く知るには障害になる。
賀茂真淵先生のおっしゃるように万葉集の意味、易経の爻も合わせて見ないと解釈の難しいしょものだと実感した。
『日本書紀』には洗練された美しさを感じるが『古事記』は方言のような泥臭さが感じられる。これは悪い意味ではなく日本語であれば当然ローカルな表現は混じってくるものだ。近年、これだけ情報が飛び交う世になっても地方独特の方言はその土地に住んでいないとわからないものも多い。
またネイティブアメリカンの言葉、後からやってきた白人の言葉は当然違う言葉だろう。この辺りから推測すると稗田阿礼の話した言葉をまるままテープおこしにしたものではないだろう。かなり使用する単語は太安万侶によって吟味されたのだろうと思う。
また本当に稗田阿礼がずば抜けた記憶力の持ち主で過去の文章も全部記憶できたとするのであれば『古事記』はあまりにも情報量が少なすぎる。三巻にまとめるようにという依頼だったのか、記憶していたものがこれだけだったのか。編纂の企画に分量の指定があったのかどうか知りたいところ。またそれほど記憶力がよい人が話したものに年号が一切入っていないというのも不可解なところ。意図的に抜いたのか別の書物に記載するための情報をまとめたものなのか。『古い出来事の記録』という題名からして複数の『古事記』があってもおかしくない。
『古事記』聖書と違って天地が先にあるという意見も多いが、天地はあっても大八洲の国土はない。この部分からすれば天地創造も地球上の表現がされているわけで、解釈はいろいろだが同じようなことを言っていると思っている。また天地、大八洲に代表される国土は別のもの。
1週目が始められてよかった。
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