自分の特性を活かす生き方【須磨源氏】
アドバイスとの付き合い方
『源氏物語』『日本書紀』『聖書』を朝活で読んでいると様々な「占い」が出てきます。
その中で話題になった『源氏物語』の「観相学」と「宿曜経」「大和相」があります。
帝の依頼で、右大臣が自分の子どもということにして、高句麗の相人に光源氏を占わせる場面があります。
「国の祖(おや)と成りて、帝王の位に上るべき相おはします人の、そなたにて見れば乱れ憂ふることやあらむ。おほやけのかためと成りて、天下をたすくる方にて見れば、又その相たがふべし。」
▶︎「国王になる相を持っていますが、それでみると国内が乱れます。かといって大臣として国王を助ける相ではありません。」
日本の観相学でも見させて占星術で占わせても同じ事が帝に伝えられます。
すくえう(宿曜)のかしこき道の人に勘へさせたまふにも同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべくおぼしおきてたり。
▶︎宿曜占星術で見させても同じ意見だったので皇子にはせずに臣下の位に下げて源氏と名乗らせた。
昨今、一般的人向け「帝王学」が流行ってますが帝王になってもうまくいかない人はいるわけです。
単独行動が向いてる人、コミュニティが向いてる人、革命を起こしてガツガツやるのが向いてる人、サポートが得意な人、など自分の特性だけに頼りすぎる事なく最適なポジションで活動するのがよい事もあります。
光源氏は『源氏物語』の中で六条御息所の住居跡を改装して、関係した女性を住まわせました。ある意味ちっちゃな王国の王様になれたわけです。身辺は乱れましたが国が乱れる大事には至りませんでした。
自分の生まれつき持った性質を活かす事を世阿弥は「有主」「無主」という言葉で語っています。
「有主」とは自分の持って生まれた性質を最大限に発揮すること
「無主」とは持って生まれた性質を活かせない事
光源氏は「有主」を生きたのか「無主」を生きたのか??
自分はどうするのか
最大限に活かすヒントは「よき指導者」と「行動力」にあるようです。
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13 主体性を持つ
芸に「無主風」という避けるべき状態がある。声質や容姿など生まれつき持ち合わせた芸の下地を「主」という。
しかしこの「主」は、師につき稽古をしっかりと重ねれば身につけることができる。基本を自分のものにして確実にできるようになった状態だ。これができるようになれば、表現は生きたものになる。
また、生まれつき持ったものを活かしつつ分相応の力をつけることを「有主」という。この有主、無主の変わり目は、よく見極めることである。『至花道』
『超訳 世阿弥』より
※高麗の相人の件は能「須磨源氏」に登場します。
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