今も昔も変わらない本当のケガレ
今日の朝活は『源氏物語』末摘花、『日本書紀』神代上、『聖書』レビ記。
この中で汚れの規定がさまざま語られています。「焼きつくす捧げ物」「贖罪の捧げ物」「割礼」など、現実に実践している人にまだ会ったことがないので新約聖書の「汚れ」、能「柏崎」「東岸居士」に語られる十戒をシェアしました。
この部分は宗教にかかわらず異口同音に語られます。
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「人から出て来るものこそ、人を汚す。 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」」
マルコによる福音書 7:18-23 新共同訳
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川の中に入ったり、滝に打たれたり「禊」的リトリートも流行ってますが、、
外に着いた汚れはシャワーでも風呂でも落とすことができます。中世の神社参拝のときのように汗や埃を物理的に落とすための禊や清めの儀式は現在は形骸化した精神の汚れや雑念を落とすようなものに意味づけが変わりました。
川に入っても内から出てくる汚れが浄化されなければうちでシャワーを浴びるのと何も変わりません。
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「げに嘆けども人間の、身三、口四、意三の十の道、多かりき」能「柏崎」より
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一部の仏教でも十戒が説かれていて内訳は三つに分類されています。
身で作る罪3つ
口で作る罪4つ
意(心)で作る罪3つの合計十の戒めになっています。
内訳は、、
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「殺生、偸盗、邪婬は身に於いて作る罪なり。妄語、綺語、悪口,
両舌は口にて作る罪なり。貪欲、瞋恚、愚痴はまた心に於いて絶せず、、、、」能「東岸居士」より
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▶︎身で作る罪3つ→殺生、偸盗、邪婬
これは文字のまま意味も不明なことはないと思います。
▶︎口で作る罪4つ→妄語、綺語、悪口、両舌
小説家は妄語、綺語を犯しているが方便として人を救っているという逆説的な解釈もあるので全部が悪いわけではありません。とはいえ悪口(あく)、両舌(りょうぜつ)を望む人まずいないと思います。
▶︎貪欲、瞋恚、愚痴→三毒
⚫︎貪欲、貪欲とはいくら得ても満足ができない。餓鬼道の世界です。目標や願望に貪欲になれという言葉もありますがこれは大袈裟な比喩です。
⚫︎瞋恚(しんい、しんに)は嫉妬や怒り、人の気持ちをコントールしようとすることなど
⚫︎愚痴
「愚痴をこぼす」という言い方もあるのでこれは口でつくるのでは??とかつて思ってました。愚痴は解決策のないことを延々繰り返す思いのことです。
この貪欲、瞋恚、愚痴の3つは「三毒」と言われ身を滅ぼすと言われています。
「禊」を念入りにしたら穢れが払われるのではないか。その考えに囚われていたらこれは貪欲であり愚痴です。
そして、それを「そういう意見もあるんだな」と聞くことができずに、批判されている、否定されていると思い始めると瞋恚の始まりです。
こうした中で「選挙にいかない」というのも愚痴の一種かと思っています。
愚痴とは「解決策のないことを延々繰り返す思い」
自分が選挙に行っても何も変わらない、そう思うことも愚痴の一種です。
1票が集まって何かが動く、そう思えることが自己肯定感や自己効力感ですから、1の力をもっていることは「解決策のないこと」ではありません。
どんなに心理学を学んでも選挙に行かない人は自己肯定感が低い、もしくは無いともいえるかもしれません。
貪欲、瞋恚、愚痴、三毒は宗教や表現が違っても推奨されるものではなさそうです。三毒は身体を酸性にする説もあります。
本当のケガレは内側からでてくるもの、心地よい音楽や詩、掃除、美術鑑賞など、、自分を清く保つもの、ケガレを生み出すものを把握しておくと対応がしやすいです。
自分のご機嫌を自分で取れることが心身の健康を保つ清めの儀式になります。
三毒はこわいですね。とはいえ、逆にいえば3つだけ気をつけていればいいわけです。
貪欲、瞋恚、愚痴、、具体的には、、
腹八分目、夢は大きく目標は達成したら次の目標、影響できることに影響し、人の気持ちはコントロールしない。
自分なりにこうした基準に置き換えてますが、、今日もお腹いっぱい食べてしまいました😃
身体が弱ってきて死に近づくと誰でも全部できるようになります。生きているうちに三毒のデトックスしておくのがおすすめです。
※画像はAIで生成しました。
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