三十三天と悠久の時間
三十三天の悠久の時間
8月24日とかち帯広薪能のサイトが公開になりました。
本年は「舎利(しゃり)」
アンパンマンとバイキンマンのような物語です。
出雲国、美保のお坊さんが京都に向かいます。
泉湧寺に向かい十六羅漢、仏舎利を参拝します。釈迦や仏舎利の謂れが語られます。
そうしていると天気が変わり雷が鳴り始め足疾鬼(そくしっき)が現れます。
そして仏舎利を盗み舎利殿の天井を破って飛んでいきます。
そこでお坊さんは今日をあげ韋駄天(いだてん)を呼び出します。
韋駄天は足疾鬼に追いつき舎利を取り返します。
足疾鬼は痛めつけられ消えてゆくお話です。
追いかけていく範囲も仏の聖域まで飛んでいきます。
▶︎化天(げてん)
1日が800年の世界
▶︎耶麻天(やまてん)
1日が200年
▶︎他化自在天(たけじざいてん)
1日が1600年
▶︎三十三天
忉利天(とおりてん)
33の天部がいる世界
▶︎帝釈天(たいしゃくてん)
インド神話の最高神インドラ
▶︎梵王天
帝釈天と並んで祀られる仏
こう思うと能の時間設定もかなりの長いものです。
仏の時間も惑星レベル
韋駄天と足疾鬼は今もどこかで駆け巡っているようにも思えます。
取り返したお話ではありますが、頭の中にできた宇宙には時間も過去も未来も関係ありません。過去のことが未来にも再現されます。また未来の事が過去に再現される事もあります。
駆け巡る距離も宇宙全体
能舞台という限られた「間」で演じられる1時間ほどの作品ですが
悠久の時間と距離を感じられる人には頭の中をグルグルと混ぜ合わせてくれます。
またこの作品では舎利殿の天井を壊して飛んでいく場面を、下に置いた小さな箱(舎利殿)を踏み潰す表現で表したり
ものすごいスピードで飛んでゆく場面を、ゆっくりとしたスローモーションで表すような現在の映画やアニメで使われる演出もすでに使われています。
足疾鬼を完全にやっつけてしまわず懲らしめるだけというのもアンパンマンのような感じです。
『日本書紀』『古事記』では何かと処刑され「祓い」という完全消滅させる世界観が示されます。
仏の世界は少しやさしさを感じますね。
※画像はAIで生成しました。
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