「夢」と「努力」
「夢」と「努力」
数年前から「夢を叶えるために努力はいらない」というお話を聞くようになりました。「努力」を嫌なことを我慢してやるような歯を食いしばってきついことをするような意味で使われています。夢を実現するために努力はいらないという主張もあります。
そもそも「努力」ってなんなのか?
今朝はそれが頭に浮かぶので「努力」をテーマにすることにしました。
「努力」という言葉は『日本書紀』にも登場します。
雄略天皇が狩の最中、雀のような鳥が来て危険を知らせる場面です。
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『日本書紀』雄略天皇の御代です。
五年の春二月、天皇、葛城山に狩猟したまふ。霊しき鳥、忽ちに来たれり。その大きさ雀の如し。尾長くして地に曳けり。かつ鳴きつつ曰く「⭕️努力努力(ゆめゆめ)」といふ。俄にして逐はれたる嗔猪、草中より暴に出て人を逐ふ。
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これ普通にパソコンやスマホで変換しても「努努」と出てきます。
「努」の訓読みは「ゆめ」です。
つまり日本語の「ゆめ」に当てられた漢字は「努力(ゆめ)」です。それを「どりょく」と読んだので「努力(どりよく)」という言葉ができました。
この「努力(ゆめ)」とは「全集中」の状態のことです。
歯を食いしばって何かするような意味ではありません。
「夢」も「ゆめ」
こちらはイメージを見ている状態。
「努力」も「ゆめ」
こちらは起きている時に全集中している状態。
言葉の定義は時代によって変わったりインフレンサーが定義したことが信じられて広まったり変遷していくものです。
とくに明治以後、日本語は極端に変わってしまいました。
元々は行動はまだしていない状態、起きていても寝ていても、イメージをしている状態が「夢」
意識がはっきりしていて全集中している状態、体使って汗かいている状態は「努力(ゆめ)」
何かに向かっていなければ「努力」は存在しましせん。なんのために努力しているのかと思ったらそもそも「努力」ではないのです。
例えてみると、毎日ガンばって山手線を一駅づつ乗っているような状態は「努力(ゆめ)」ではありません。これが昨今、歯を食いしばってというような意味で使われています。もともと意味が違います。
目指しているもののために時間や能力を全部集中させていくことが「努力」という意味です。
「夢」についてもまた色々と種類がありますが今日は「夢」と「努力(ゆめ)」
「努力」っているの?いらないの??と混乱するようなことがあったら言葉のルーツや意味を確認してみると自分の判断基準がぶれなくなってきます。
個人的に「夢」を実現しようと思ったら「努力(ゆめ)=全集中状態」は必須だと思ってます。また全力で取り組んでいることが「夢中」とも思ってます。
ということで3冊めの出版を想定して頭の中を掘り出しています。
※画像はAIで生成しました。
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