自分のルールってどこまでまもれるのか
朝活で『源氏物語』を読んでいて中国の詩人 陶淵明(とうえんめい)が出てきました。能「三笑(さんしょう)」に登場します。
そして5:30から『聖書』はバラムとロバのところでした。
陶淵明&バラムとロバ
三つの径
まさに今日はやりたいと思って始めたことが最後までできるのか?
そんなことがテーマな1日だと感じたのでここにまとめておこうと思います。
『源氏物語』に陶淵明ってでてきたかな〜
と記憶も曖昧なので原文を見てみました。
原文に書いてあるわけではなく「三つの径(みち)」を陶淵明の詩に意味が含まれているという説明を口語訳に含ませたようです。
「三径」は隠居している人の家でも三つの道があるというような意味合いで、すっとばした解釈をするとひとのあまりこない隠居した人がひっそりとしているような場所をイメージさせる言葉です。ここは深掘りせずに原文のご紹介しておきます。
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『源氏物語』角田光代 訳
陶淵明の「帰去来の辞」の一節にも「三径荒に就く」とあるように、どこだろう、こんなに荒れたところにもかならず草を分けた⭕️三つの径があるはずだ、とさがしあてて進む。ようやく、寝殿の南側、格子を上げた一間へ車を寄せる。
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『源氏物語』紫式部 著
いづれか、このさびしき宿にもかならず分けたる跡あなる⭕️三つの径とたどる。わづかに南おもての格子、上げたる間に寄せたれば、、、
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能「三笑」は三人の偉人が登場します。
慧遠禅師(334-416)は禅のルーツに近いお坊さん
陶淵明(365-427)は詩人
陸修靜(406−477)儒教の道士
こうしてみると同世代というには年が離れています。水墨画でもこの三人が描かれている絵があります。
慧遠禅師は修行のため山にこもっています。そこに陶淵明、陸修靜の二人が遊びにきます。
琴詩酒でたのしみ二人は帰ろうとします。
その時に慧遠禅師は見送りに出てきます。
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「淵明、禅師にさて禁足は破らせ給ふかと一度にどっと手を打ち笑って三笑の昔となりにけり」能「三笑(さんしょう)」
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「ここから出ずに修行する!!」と思っていても楽しくなって気がついたら、、
陶淵明「あれ出ちゃってるよ」
三人「あっほんとだ!!はははは!!」
能の中では珍しい笑でおわる一曲です。こうして自分のルールはあっつさりと破られてしまいます。
へんなこだわりに凝り固まっている人が呪縛から解けるのは周りも楽になりそうです。
逆に、よりよく生きようと思っているのに「あの人、変ですよね??」と話を振られて「そうですね〜」と同意したことになってしまう場合も自分ルールはあっさりと破られます。
ここでバラムのことも繋げてと思って綴っていましたが、「三笑」のあとではちょっとしつこいな〜と感じたのでここまでにしておこうと思います。
出かける前の20分くらいでやろうと思って始めたことが落とし所が変わる擬似体験ができました。
※画像はAIで生成しました。
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