「深い」「浅い」
「深い」「浅い」
本日の朝活は『源氏物語』常夏
『日本書紀』崇神天皇 四道将軍の派遣
『聖書』申命記 モーセの演説の場面
本日は共通して「話し方」がテーマの朝でした。
なんだか深い話をしていそうでよく聞くと中身が何にもない話が気になっていたので気になったのかもしれません。なんでそう感じるかは最後にまとめます^^
その中でも『源氏物語』で早口の近江の君が話し方について、一緒にいた五節の君から指摘される場面が印象に残りました。
内容がない話でも声をおさえて話すと深い話をしたように聞こえる。面白くない歌の話ももっともらしい口調で話すとちょっと聞くだけなら面白そうだと思える、、というような内容です。
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『源氏物語』「常夏」
ことなるゆえなき言葉をも、声のどやかにおし静めて言ひ出だしたるは、うち聞き、耳ことにおぼえ、
をかしからぬ歌語りをするも、声づかひ、つきづきしくて、残り思はせ、本末をしみたるさまにて、うち誦じたるは、深き筋思ひ得ぬほどのうち聞きには、をかしかなりと耳もとまるかし。
いと心深くよしあることを言ひゐたりとも、よろしき心ちあらむと聞こゆべくもあらず。
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『聖書』ではたびたびモーセは民衆に神のメッセージを伝えますがなかなか伝わらず反抗され文句を言われ続けています。
モーセがどんなふうに話したのかは出てきませんが、エジプトを出る時は人前で話すようなことは予想もしていなかったようです。
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それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。 さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」 モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」
主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。 「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。 彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。 彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。 ‘
出エジプト記 4:10-16
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野外で話すのはある程度の声のボリュームが必要です。大声張り上げて話していたかは分かりませんが、重要なメッセージを繰り返し伝えて40年たつと受け入れる割合も増えてきます。
きいて〜きいて〜という女の子、近江の君、使命感をもって大勢の前で話し続けるモーセ。話す内容も責任も言葉が違いそうですね。
そして深そうな話の共通点、ちょっと聞くだけだと矛盾していることを言っているような話。
声は大きいのも大切、しかし小さいく話すことも大切。
人には好かれるのも大切、しかし嫌われるのも大切。
見たいな逆なことを言っている話は一見深そうに聞こえます。
ところが毎回、常にこの公式ではなすひとの薄っぺらさといったらありません。
何を話しても「〇〇しかし反〇〇」
なんども聞いていると中身が何にもないことがわかってきます。
そして聞いている人も「ふか〜い」というコメントが始まると本当に中身だけでなく殻もない空っぽワールドが広がってきます。
そうしてみると近江の君の「きいて〜きいて〜」という話が本人にとっては重要な中身がある話と感じられてきます。
脚色するまえに思ったことを言葉にする大切さが実感されました。
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『超訳 世阿弥』
022 素直な感情こそが味わい深い 「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮れ」 百人一首の選者、藤原定家の名歌である。ただ事実を並べているだけである。
深い解釈があるかと歌人に聞いてみたが、見た景色をそのままつぶやいているようだ。 仏教にも「言語道断、不思議、心行所の滅するところ、これが素晴らしい」と言われている。
能楽の自由な境地は、この「駒とめて」の歌のように表現の試行錯誤からも離れ、わざとらしさのかけらもなく「無感の感」「離見の見」のように無我の境地で評価を得ることにある。これが「遊楽の妙風の達人」というのだろう。 『遊楽習道風見』
※画像はAIで生成しました。
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