九十九日めになりました
3月29日から始めた100日チャレンジが99日め
九十九は小野小町と深草少将の百夜通いが頭に浮かんできます。
九十九は九十九髪(つくもがみ)にも通じています。
「百」から「一」をとって「白」
白髪、から歳をとった人や母親を意味する言葉で使います。
老婆、おばあちゃん、ママ、九十九髪
呼び方が変わるとだいぶ印象が変わります。
能「卒都婆小町」は観阿弥作と伝承されています。600年以上、上演され続けている台本や演出には生命力がありますね。
九十九が歳をとった事と深草少将のあと1日というところで倒れてしまう場面で登場します。
人恋しい悲しさが99歳になり深草少将の99日目の思いと重なってくる名曲です。三島由紀夫先生『近代能楽集』にも「卒塔婆小町」が収録されたびたび上演されています。こちらは美輪明宏さんも演じています。
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能「卒都婆小町」原文
百歳に一歳足らぬ⭕️九十九髪(つくもがみ)かかる思ひは有明の影恥ずかしき我が身かな
頸にかけたる袋には如何なる物を入れたるぞ。
今日も命は知らねども明日の飢を助けんと粟、豆の乾飯を袋に入れて持ちたるよ。
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榻(しじ)のはしがき百夜までと通い往て⭕️九十九夜(くじゅうくよ)になりたり
あら苦し目まひや
胸苦しやと悲しみて一夜を待た死したりし深草の少将のその怨念が憑き添ひてかやうひ物には狂はするぞや
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今日7月5日終末論の都市伝説の日でもありました。
「今日の命は知らねども明日の飢を助けんと、、、」
今日が最後といっても明日の食事の心配をする。そして何も持っていなくても袋の中に食べられるものを持っている。
この卒都婆小町では100歳になろうとする老婆の小町が登場します。これはどんなに裕福になっても貧しくても生きている限り「老い」と「食」からは離れられない。人が最後まで持っている欲なんだろうと思います。
朝活でよんでいる『聖書』の中ではアブラハムが割礼をするのが99歳、妻サラがイサクを産むのが90歳、
99にまつわること『聖書』からふたつ『今昔物語』からひとつご紹介します。
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あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、⭕️九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた⭕️九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
マタイによる福音書 18:12-13
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これを読んだ時、中学のときの悪目立ちする同級生が頭に浮かびました。当時の「ツッパリ」、、打込むだけではずかしい死語ですね〜
なんだか普通にしている生徒より、かまわれているようなものですね。放っておいても道から外れなさそうな人より迷い出た羊が戻ってきたことを悪人が改心する例えになっています。
逆説的なこともないかと思ってみると同様の表記がありました。
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あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、⭕️九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない⭕️九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。
ルカによる福音書 15:4-7
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多数決が標準でありそうなイメージがありますが、悔い改める必要がある1人というのは単に少数派の意見を尊重するのは意味が違うものだと思いました。
日本だと友好的にそのまま受け入れてと思われがちですが、、
神、集へ、議(はかり)、問はし、はらい
集合、相談、問い確認し、それでも合意が得られなければ、処刑を含む徹底的な祓いが行われます。これは『日本書紀』『古事記』にも一貫して描かれる世界観です。安心安全を作るための社会の管理システムは徹底しています。
最後は、99より数字が多い999にまつわる物語です。
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『今昔物語』鼻の欠けた猿
天竺コーサラ国の大木に1000匹の猿が住んでいました。その中の999匹は前世の行いで猿になり鼻が欠けていました。帝釈天のお祭りをしますが帝釈天は1匹の猿の供物しか受け取りません。
帝釈天は猿に告げます。
おまえたち999匹は、前世で法を誹謗した罪によって、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意の6つの感官能力)を失い、鼻を失って生まれてきた。
一匹の猿は、前生の行いによって、六根を備えている。ただし、愚かであったために師を疑い、人ではなく猿として生まれることになった。やがて仏道に入ることになっている。
おまえたち999は不遇者ながら、麗しき者を軽んじ、笑いものにしたのである。私はそれゆえに、おまえたちの供養を受けなかった」
それから999匹の鼻のない猿は、1匹の鼻のある猿を笑うことは無くなったという物語です。
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自分が何かしようと思う時、まわりから見たら少数派のことがほとんどです。
悔い改める必要のない99匹の羊なのか、鼻のない999匹の猿になっているのか。
九十九日なので99にまつわる物語を集めてみました。
明日で満願成就です^^
※画像はAIで生成しました。
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