何年も経ってつながる事
何年も経って、つながること
昨日、高校の同窓生が私の舞台を観に来てくれました!感動の再会でした🥺
高校時代の担任の先生が、京都の大学で能楽部の顧問をされていることは以前から知っていました。昨日、話題になったのは、先生が坂口安吾の研究をされているということでした。
坂口安吾が教員としてある小学校に赴任していたという情報はネットにも載っていますが、具体的な赴任先までは、文学マニアでさえあまり知られていません。
その赴任先はなんと私の母校です。それを知ったのはずっと前からではなく、ある出来事がきっかけでした。
母校の創立130周年の折り、能楽の演奏を依頼されました。その時にお願いした能楽師が、校長室に飾られていた小さな額を見つけました。
「これって坂口安吾ですか?」
「よく分かりましたね!」
そんな会話が交わされました。
教員時代の彼は「坂口炳五」という名前ですからパッと見ただけでそれと気づける人は稀です。
卒業して長い年月が経った後の、思いがけない発見でした。
坂口安吾が代用教員として赴任したのは、荏原尋常小学校の分教場──現在の代沢小学校です。この分教場は、もともと荏原尋常小学校(現在の若林小学校)の附属校でした。安吾が勤務していた代沢小学校は、若林小学校の分校だったというわけです。
その記録が、今でも母校の校長室に飾られているのです。
高校入学から約40年――担任の先生の研究と、自分の体験が不思議な形でつながりました。
通学路だった松蔭神社、二駅先に祀られている井伊直弼の稽古していた流派の小鼓を職業とするようになったこと。吉良家の領地で生まれたことなど、今まで経験してきたことが、次第に一本の道のようにつながっていきます。
まるで人生そのものが、一生楽しめるミステリーツアーのようです。
前世で申し込んだのはワーキングホリデーコースだったようです。
※画像はAIで生成しました。
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