阿漕と地獄
阿漕と地獄
昨日は㊗️おめでたい㊗️と思いきやこれから「地獄」という話題が出ました。
ちょうど27日に地獄の能をするので「地獄」をテーマにしてみようと思います。
27日は能「阿漕(あこぎ)」に出演します。
アコギな人
アコギな事するな!!
など現代でも使っている人いますね。
「悪」のようなイメージがありますが漢字で書くと「阿漕」です。
ここでアコースティックギター云々のオヤジ系ツッコミは面白くないのでコメント不要です。
阿漕は伊勢の「津」の近くです。伊勢神宮に納める魚をとるための禁漁区で密漁をした漁師の物語です。
伊勢の海
阿漕ヶ浦に引く網も
度重なれば現れぞする
母親の病気治療のため密漁を繰り返した漁師は地元の掟で簀巻にして海に沈められます。
その後、誰かが悪いことをすると「阿漕」というこっそり悪いことをする代名詞として「阿漕」が使われるようになります。
なんでオレのせいにするんだ〜
それはオレがやったんじゃないだろ〜
漁師の亡霊が現れます。
漁師を弔うお経も
「耳には聞けども、なお心には」
そして亡霊は密漁の様子を再現します。
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因果の巡りくる。火車に業を積むかず苦しめて目の前の地獄もまことなり、げに恐ろしの気色や
————
燃えた車にカルマを積んでいるような気色になります。
とっている魚は悪魚、毒蛇になり
紅蓮大紅蓮地獄の氷で骨は砕かれ
泣き叫ぶ息は炎になって自分を焼く、その煙が立ち込めているのが阿漕の漁師がいる世界です。
こうしてみると自分の強い思い込み悪いと思っても密漁が楽しくなってしまう人の心
そして救済してくれるお経も聞こえはするけど心には響かない
現代でも自分の事を思って伝えてくれた助言を心に止めなかったら「地獄」なんだなぁと実感します。
人の話が聞けなくなっている状態はある意味「地獄」です。
そして「地獄」の曲を勤めるときいつも思う事があります。
「地獄」の価値です。
天命、宿命論をかたる方は、この世は演劇のようにシナリオを演じていると説く方もいます。
実際、悪いことをしても天命だととらえてカルマは汚れないとい解釈もあります。
そうすると演劇で悪役をするように実際の罪はありません。
人生の選択肢もなく全てはシナリオといえます。
道から外れたら「地獄」で苦しむ。
「地獄」があるからこそ自分の進む道を選択できる。
「地獄」はただ恐ろしいだけのものではなく人生は選択できるという天命に対するアンチテーゼを示しているようにも思えます。
個人的には痛いのと苦しいのは❌です。
能の中にはさまざまな地獄が登場します。
地獄談義に興味ある方はメッセージください😃
※画像は阿漕ヶ浦海浜公園と漁師の記念碑です。
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