部分と全体

朝活は『吉田松陰全集』丁巳幽室文稿『史記』韓世家『聖書』Exodus
『吉田松陰全集』は12巻の4巻まで、『史記』は8巻の4巻まで読み進められたので来年前半には読了できそうなペース。
今日、特に印象に残ったのは丁巳幽室文稿の中の一文です。
松陰28歳、自宅謹慎中の手記と言われています。
「一を観て百を疑いしは吾れの過なり、一を執りて百を論ぜしは亦、百佑の過なり」
佐藤百佑の『経済要録』を読んだ感想が綴られています。そのなかで一つの事柄を見て全体を疑うこと、ひとつの不具合で全体を議論するのは百佑の考え方が違うということが語られています。
これを見て物事によりけりということが頭に浮かんできました。
ただいま100日チャレンジ3日目
1日くらいやらなくても99日でもほぼ全部と考える人がいてもそれは人それぞれ、なんのお咎めもありません。
役所で百人にひとりが不正をしていたら多すぎです。
だからと言って全体は悪くないと捉えるのか、不正を容認した全体が悪いと捉えるのかは人により意見が分かれるところです。
100ページの本を1ページ読まなかった、あまり問題にならなそうな話題です。
試験だったら、100問の1問スルーした。もしかしたら合否が分かれてしまうかも知れません。
ひとつの事柄に厳しい基準を持っていても他のことはゆるゆるぐずぐずという事もあります。
犯罪で前科のつく人も毎日悪いことをしている人はすくなく、人生で一回だけした出来事で一生涯罪を次ぐな分ければいけない場合もあります。
ひとつのことで全体を判断したようがいいこと、
ひとつのことで全体を見極められないこと
一度うまく行ったパターンを何度も使った方がいいこと
一度うまく行ったパターンをすぐに捨てた方がいいこと
今年、うまく行ったこと
どうやってやったのか
他の人も使えるのか
自分しか使えないのか
来年もそのパターンを使うのか使わないのか
こんなことをささっと書き出してみました。
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