「翁」の源流か?
ウエツフミの中に翁らしき記述を発見
森澤勇司です。雑誌「能楽」36巻を一気読みしたせいか、読書脳が起動し始めました。そんなことで速読を超えてかなりの速度で普通に通読しています。偽書とも言われる「上記(ウエツフミ)」の間に聖書や風土記をよみ頭のなかの世界を楽しんでいます。
このウエツフミはウガヤフキアワセズが数十代に渡って書かれているのですが、
明経別命の御子、アキツカサホノ尊が今の奈良、大和に巡幸する場面があります。
尊がきたことを喜び地元の人々は笛を吹き太鼓をならし喜んでいると、突然300歳とおもわれる翁が3人やってきます。
自分たちも神楽をしましょう。ということで祝いの舞をまう。
みももとしまりなすおきなみたりいでて
あもかむくらせむわかうどのもころ
にきよらにえらぎもたるたかたまをの
すひももてゆえるあおぎをかさしうた
いいわう
とうとう
たらりたらり
ちちや
たらりたらり
とよやとよや
とたらりたらり
うつどたらりや
たなつたらりや
みよさか
たらりたらりら
とうたいえらくさまいとみやびにき
ここに
あまつみこのみこと
いづこのおきなかもとのりたまえば
あはすめらぎよをいつくすみのえのお
きなとうてむれくもにのらしとびさり
き
かれこれのおきなのうたをうたいます
によりてそとこをうたという
「とうとう たらり たらり」と歌い始める。
尊が誰なのか尋ねると代々の繁栄を祈るためにきたといって雲にのって飛んでいってしまう。という記述です。この翁がお祝いのうたを歌った土地をウタと名付けたということです。
この物語からすると現在、上演されている翁の詞章も舞台も何を表現しているのかものすごく納得感があります。翁の最後に「萬歳楽」とだんだんに声を落としていくのもその後に、小鼓が声をかけ、橋掛かりを帰っていく表現も雲にのって飛んでいってしまう感じとしてはピッタリの雰囲気です。
ウエツフミは古事記以前の偽書だと言われる書物です。翁の記述があるからウエツフミが本物だ偽書だと言うことではなく、かなりの昔から「とうとう たらり」という祝いのうたは存在していたということは事実ではないかと思っています。
原文読み下し
【原文読み下し】
みももとしまりなすおきなみたりいでて
あもかむくらせむわかうどのもころ
にきよらにえらぎもたるたかたまをの
すひももてゆえるあおぎをかさしうた
いいわう
とうとう
たらりたらり
ちちや
たらりたらり
とよやとよや
とたらりたらり
うつどたらりや
たなつたらりや
みよさか
たらりたらりら
とうたいえらくさまいとみやびにき
ここに
あまつみこのみこと
いづこのおきなかもとのりたまえば
あはすめらぎよをいつくすみのえのお
きなとうてむれくもにのらしとびさり
き
かれこれのおきなのうたをうたいます
によりてそとこをうたという
【意味予測変換】
三百歳まりなす、翁三たり出でて
「吾も神楽せむ」
若人の如に、清らに、笑らぎ、持たる、貴玉を載す
紐もて結える扇を翳し謡い祝う
とうとう
たらりたらり
ちちや
たらりたらり
とよやとよや
とたらりたらり
現人たらりや
穀たらりや
御代栄
たらりたらりら
と謡い、笑らぐさま、いと雅にき
ここに
天津御子の尊
「いづこのおきなかも」と宣り給えば
吾は、皇世を慈く、住之江の翁と言て
叢雲に乗らし飛び去りき
かれこれの翁の歌を謡いますによりて
そとこを宇陀という
ウエツフミは偽書か本当の歴史を伝えるものか
翁の記述があるからといって本とか嘘かという証拠には全くなりません。様々な視座で見ればあとから作った偽書だから本当に有ることを脚色して文章にしたといえば聖書でもなんでも全部偽書扱いです。新約聖書も福音書ごとに記述が違います。
聖書でも同じことを複数の人が違う時代に書いたものの集合体ですから日本の長期にわたる歴史が地方や管理する人によって味方が違うのは誤差の範囲です。
個人的にはウエツフミは風土記のような様々な土地の話が登場するのでホツマツタエよりも庶民的な印象を持っています。
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