モノの見方の種類、視点、視野、視座
オンラインサロンでは月に2回か3回『易経』の時間があります。日本の元号の約1割は『易経』由来です。日本文化の土台としても機能している四書五経のひとつです。
昨日はその『易経』の「観」卦を深掘りしました。観光の語源にもなっている卦です。
観察のような観るという種類について語られた部分です。その中に6つの爻がありそれぞれに注釈が付けられています。
6段階の初めは、幼稚なものの見方
2爻には覗き見るような見方、3爻は自分を省みる見方、4爻は国の光を見る、これが観光の語源になったところです。5番目は民衆を見て自分の考えを確認修正する見方、最後は現場からは離れていても君子のように見てゆく見方です。
これをみると初爻は狭い、視点、視野、視座。覗き見る様な見方では視点は固定され視野は狭く、視座は変えられません。
3爻も自分を省みても視点、視野、視座は変わりません。4爻は旅行に行く、ゲストとして招かれる。自発的なテーマがあれば視点、視野、視座ともに今までにないものが得られるかもしれません。しかしこれは逆に奉られて仕舞えば目が塞がれた様な状態とも紙一重です。5爻は周りの人の様子を見て自分をはかる基準にする。素直に受け取れる人には非常によい視点、視野、視座かもしれません。ところが人には思い込みの壁があります。自分の得たい情報だけを取る様になるとこれも都合のいい裏付けだけ拾ってしまうのはよくありません。素直さにみる感性が必要になります。そして最後の上爻はそうした現場から離れたとしても投げやりにならない。
ものすごくざっくりしたものですが様々な見方の種類が語られています。ものの見方を考察するときに必要なのが「視点」「視野」「視座」の区別です。
「視点」とは「何を見ているか」です。時計の時間を見る時、時計の針や数字を見ています。「読む」のも文字に視点を向けていないと文字が読めません。どこに焦点を合わせているかが「視点」です。
「視野」とはその時計の置いてある周りの景色を見ている「範囲」が視野です。視野を広げると視点はぼやけるかもしれません。
「木を見て森を見ず」これも視点を絞ると視野が狭まるという比喩ですね。
そして、視点、視野、をガラッと一気に変えてしまうのが「視座」です。立場や立ち位置です。どんなに「視点」「視野」を広げても自分の後ろは見えません。今いるところから移動して別の場所に立ってみる。今まで見た景色がガラッと変わります。これが「視座」です。「視座」を変えてしまうと「視点」「視野」は自動的に変わってしまいます。
誰かと話をするときも相手はどこに焦点を当てた「視点」で、どれだけの範囲「視野」の事を、どの立場「視座」で話しているのか。きちんと把握することが傾聴にもつながります。そして大切なのは、自分たちはどんな落とし所を理想と思っているのか。ここがしっかり明確になっていれば大きなトラブルを回避することもできます。
紀元前から伝わる『易経』は現代社会の日常生活にも役に立ちます。
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