日本書紀完読に向けて16週百舌鳥と鹿耳から出て飛んでゆく【日本書紀16】
16 0420
268→273
274→279
280→285
286→291
292→297
298→303
ちょうど6月に舞台の予定されている「氷室」の話が出てきた。能は亀山天皇の時代の話なので氷に対する奇徳に対する畏怖の念を感じる。飛騨国の宿禰は山の上で出会うカエルの寓話を思い出した。この怪物のようなたとえは異民族の比喩だろうと思う。土蜘蛛とおなじ発想なのか政治形態を擬人化しているのだと思う。
仁徳天皇の時代も大正時代のように大きな問題の多い時代だったように感じた。また神代のテンプレートが現世として現世に現れる。この図式が浮かび上がるようになってきた。現代の人間関係も幽世のテンプレートが再生されているように思えるようになってきた。このテンプレートはスピリチュアルなものではなくはっきりと現れている。
「通夜」を「よもすがら」という日本語と対応している。よもすがらは能では頻繁に出てくるところで馴染みがある。能楽は特に日本書紀にリンクしているところが多いのだが日本書紀を読む人はかなり少ない。ここは不思議なところだが世間的には古事記のほうが面白いのかと思う。
教科書の歴史でも記紀の裏付けがないまま事柄が入ってきてもただの暗記にしかならないのだと思った。また現世を生きる上で命という時間が一番大切。返事が遅い、時間を無駄に消費する関係から自分の時間を開放することにした。1月から約4ヶ月日本書紀を読んできて各天皇の記述をみても人生というのはたった数ページに集約されています。何千年、何百年がたった4ヶ月、そしてそれが面白いつまらないと言われてしまうものでもある。自分のすべきことだけをしていても時間が足りない。やるべきことをやる人生の時間を有効活用していきたい。
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 日本の成り立ちアーカイブ - 2024年6月4日
- 日本書紀 完読会 38週 感想 - 2024年4月21日
- 20240414 日本書紀完読会37週目 - 2024年4月14日
- 日本書紀 完読会 35週目 - 2024年4月14日