時空を超えた因果の世界
百人一首と能
ただいま2チームで100日チャレンジをしています。
メンバーそれぞれの目標設定でしています。
百人一首のことを発信してくれるメンバーがいます。能の中にも多数引用されているので見直すきっかけになってありがたいです。
今までで出た関係あるところ四つまとめました。
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▶︎天の原
ふりさけみれば
かすみなる
三笠の山にいでし月かも
阿部仲麻呂(古今集 覊旅 406)
⚫︎能「野守」
野守の老人が登場する場面で謠う台詞に引用
「昔、仲麿が、我が日の本を思ひやり。⭕️天の原、ふりさけ見ると詠めける、三笠の山陰の月かも、それは妙州の月なれや、ここは奈良の都の、、」
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▶︎わが庵は
都のたつみ
しかぞ住む
世を宇治山とひとはいふなり
喜撰法師(古今集 雑 983)
⚫︎能「頼政」
旅のお坊さんが地元の老人に喜撰法師の住んでいた場所を尋ねる場面。老人が知らないという場面。
「さればこそ大事の事をお尋ねあれ。喜撰法師が庵は。⭕️我が庵は都の巽しかぞ住む。世を宇治山と人は言ふなり。人は言ふなりとこそ、主にだにも申し候。尉は知らず候」
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▶︎天つ風
雲の通路
吹きとぢよ
をとめの姿しばしとどめむ
僧正遍昭(古今集 雑 872)
⚫︎能「羽衣」和歌としてではなく本文になじませ引用
「面白や天ならで、ここも妙なり⭕️天つ風、雲の通路、吹き閉じよ。少女の姿、暫しとどまりて、この松原の春の色を三保が崎、、」
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▶︎これやこの
行くも帰るも
別れては
知るも知らぬも逢坂の関
蝉丸(後撰集 雑 1089)
⚫︎能「蝉丸」には父親の帝に蝉丸が捨てられる場面で一部引用されてます。
「かかる憂き世に逢坂の⭕️知るも知らぬもこれ見よや、延喜の皇子の成り行く果てぞ悲しき、、」
⚫︎能「安宅(あたか)」
歌舞伎「勧進帳」の原曲
源義経が東大寺建設資金で全国を巡る山伏に変装して旅をしている場面に引用されます。
「如月の十日の夜、月の都を立ち出でて⭕️これやこの、行くも帰るも別れては。行くも帰るも別れては、知るも知らぬも、逢坂の山隠す霞ぞ春は怨めしき、、」
滋賀県の逢坂という場所は出逢いや別れ、関所もありいろいろな思いが交錯する場所としてよく登場します。
なぜ「逢坂」と呼ばれるようになったか。
『日本書紀』神功皇后の紀に記載されています。
神功皇后に皇子(後の応神天皇→八幡宮に祀られる神)が誕生します。
その異母兄 忍熊王は皇位を得るため神功皇后と皇子を滅ぼすことを計画します。
神功皇后の側近 武内宿禰は武振熊に命じて数万の軍で忍熊王と皇位争いの戦争が始まります。
ここで武内宿禰は軍隊に結った髪の中に弓の弦を隠し、木刀を持つように指示します。
そして、武内宿禰は忍熊王と交渉をします。
「神功皇后も自分たちも忍熊王が天皇になることを望んでいます。枕を高くして政治をなさってください。」
お互い弓の弦を切って、剣も河に捨てましょう。
それを信じた忍熊王は全軍に命じ弓の弦を切らせ武器を河に捨てさせます。
作戦通りに武器を捨てさせた武内宿禰は髪に隠していたスペアの弓の弦を張り直させ。木刀を真剣に持ち替えさせ忍熊王の軍を全滅させます。
この逃げる軍隊を追いついたところを「逢坂」と名づけたとつたえられています。
「武内宿禰、精兵を出して追ふ。たまたま逢坂に遭ひて破りつ。故、その処を号けて逢坂といふ」
この時、忍熊王の屍が見つからない。
武内宿禰は歌を詠みます。
「淡海の海、瀬田のわたりに、潜く鳥 目にし見えねば 憤りしも」
そして数日後、忍熊王の屍が宇治川上流で発見されます。
そして武内宿禰はまた歌を詠みます。
「淡海の海、瀬田のわたりに、潜く鳥、田上過ぎて菟道(宇治)に捕えつ」
「目にし見えねば」と詠んだこの戦の700年後に皇室に盲目の蝉丸が生まれ逢坂に捨てられます。
文化の背景と歴史はつながり、長い年月の因果応報も描かれてます。
この事件は、放生会、献上する栗の産地、カツラのルーツなど新しい風習も生み出します。
興味のある部分は人それぞれですが、その根っこにあるつながりはさらなる興味を掻き立てます。
今日も「逢坂」を深掘りし新鮮なつながりに出逢う事ができました。
時空を超えた因果に興味ありますか?
※画像はAIで生成しました。
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