「間」「空」「無」
「間」「空」「無」
昨日は「間」について話題がありました。自分のブログを検索してみたら記載している記事がなかったので簡単にまとめておこうと思います。
「間」→同じ質のもの二つ以上でできる。
物差しの目盛りと目盛りの間が「間」です。
区切ると生まれるもの。そして必ず測ることができる物差しがあります。
▶︎「モノ」と「モノ」
皿とコップ、箸と食器、机と椅子、点と点、線と線、面と面、壁と壁、目に見えるものはわかりやすい「間」があります。
この「間」は定規で測れます。
▶︎時刻と時刻の間は「時間」
これは時計で計れます。
▶︎音と音
これは時計か息、脈拍、などさまざまなモノサシでカウントしはかります。
話の「間」も実は音と音の「間」だったりします。
▶︎人と人
人間→世間、社会
感覚的なモノサシで人によって単位が違うことが多いです。
会った回数や期間、手紙やアナウンスの回数、使った金額などさまざまな基準があります。
「間」は全てはかるための「モノサシ」があります。
そして異質なもの同士で「間」を作ることはできません。
例)時刻とお皿、音と壁
すべて「間」にはそれ専用の何かではかることができます。
「空」「無」も続けてと思ったのですが、長くなるので今日は「間」だけ😃
以前「間」をIntervalと訳した人に憤慨しているところに居合わせたことがあります。
「間」には意味がある、ただのインターバルではないという主張でした。そういう話はよく聞きますが個人的には何もないインターバルです。
そこに意味を感じるかどうかは「間」を作るための目盛りの印象によるところが多いものです。
ドン!!とインパクトのある音が鳴ったら次の音までに意味を感じる。
文章や話も無音の部分を「間」といいます。そこに意味を感じるかどうかは受けての感覚に依存しています。
何も感じない人にとってはただ間が空いているだけのことです。
数年前でしょうか。手持ちのICレコーダーで舞台の録音をしたことがあります。
気が付かずに会議モードにしていました。再生したらやたらと音が詰まっている。
「えっいままでこんなことしてたのか!!??」と一瞬ショックを受けました。会議モードだと無音部分が全部無くなるんです。
この時に能の音楽はずいぶん「間」があるものだと再認識できました。
「道成寺」に乱拍子(らんびょうし)という部分があり、シテ(舞う人)と小鼓が20分くらいかけて作り出す場面があります。
小鼓が打つところにシテが動き、無音のところでシテは静止しています。
これも会議モードでの録音を聴くと7、8分で終わってしまいます。
半分くらいは「間」でできています。
話変わって、
塩パンがすこし流行っていた時がありました。いくつかのパン屋さんの塩パンを食べてみました。ほぼ全部なかが空洞。。
これは「間」ではなく「空」
「空」はあるべきものがない状態。
「間」は同質なもの二つで生まれるインターバル
少々、補足が必要な部分は次回にしようと思います。
柳生宗矩、宮本武蔵という2人の兵法書には謡と鼓に例えて相手との「間」を解説している部分があるので一部、ご紹介させていただきます。
しかし、世阿弥はこの「間」ではなく面白さは別のモノサシを語っています。
概念的なことは「知る」ことも「語る」こともできます。実際に「できる」という境地が「空」になっている状態は「無」を生み出します。
▶︎『兵法家伝書』柳生宗矩 著
「たとへば、上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也。上手のうたひに下手鼓、上手の鼓にへたうたひの様に、うたひにくく、打ちにくき様に敵へしかくるを大拍子小拍子、小拍子大拍子と云ふ也。」
▶︎『五輪書』宮本武蔵 著
「乱舞の道に、上手のうたふ謡に、下手のつけてうたへばおくるる心ありていそがしきもの也。又、鼓、太鼓に老松をうつに静かなる位なれ共、下手は是にもおくれ先立つ心あり。高砂は、、、、」
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▶︎『超訳 世阿弥』
118心が演じる偶発的な隙をつくる
謡や舞、所作、演技それらはすべて「なす態」という能動的な動作である。その動作と動作の隙間を「せぬひま」という。
この「せぬひま」が面白いと言われることがあるが、どうしてかというと、緊張感を保った心の奥を感じられるからだろう。舞の動き終わり。謡の歌い終わり。その他、言葉、物真似、あらゆる始めと終わりの絶妙の間を心の緊張感が外に匂いのように感じられて面白さに変わってゆく。
そう言ってもこれを意識して作ってはいけない。それでは能動的に作った「なすわざ」になるからだ。すると、できあがった間は、同じ間であっても「せぬひま」ではなくなる。
集中力が最高に高まった「無心」の状態で「せぬひま」の前後の動作をつないでいくのである。これこそ、「万能を一心にてつなぐ」心の力である。『花鏡』
※画像はAIで生成しました。
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