人生の楽しみと夢からのメッセージ【邯鄲】
昨日、ニュースを見ていたら2500年前の中国皇帝のベッドが復元された画像がありました。能「邯鄲(かんたん)」に登場する皇帝のベッドと意外にも形がそっくりです。能の作者はどこから情報を得ていたのか不思議です。
そんなことがあったので本日は夢からのメッセージを受けとった青年の物語をお題にすることにしました。
悩んでいることの答えやこれから起こる問題の対処法、人生の攻略法がわかっていたら問題があっても慌てることはありません。
能「邯鄲」は夢から悩みの答えを受け取った1000年以上前の青年の物語です。「邯鄲(かんたん)の夢」や「一睡(一炊)の夢」という言葉にもなっています。
蜀漢の時代、悩める青年 盧生(ろせい)は仏教を学ぶわけでもなく、ダラダラと毎日を過ごしています。
自分の人生のミッションを知りたくなった盧生は邯鄲に向かって出かけていきます。
盧生はそこで宿をとります。そして自分の人生がわかるという「邯鄲の枕」に出逢います。宿屋の主人が食事を作る間、枕に横になって休むことにします。
そこに帝の使いがやってきます。
盧生「そも如何なるものぞ」
使者「楚国の帝の御位を盧生に譲り申さんとの勅使これまでまいりたり」
帝を盧生にゆずるというお使いがやってきました。
「なんで?」と疑問に思う盧生に使者は伝えます。
「理由はいいです。早く御輿に乗ってください」
そして玉の御輿にのり宮殿にやってきます。
そしてあっという間に50年が経ちます。
数々の貢物で溢れ宴会をして50年経ったことを回想していると舞台の登場人物もサーと一気に消えていきます。
宿屋の主人が盧生を起こしにきます。
「ご飯ができましたよ」
そして盧生は夢を見ていたことに気づきます。
そして自分が求めていた知識は枕だったことを知り、この世は夢だということを悟ります。
この物語は「⭕️げにありがたや邯鄲の夢の世ぞと悟り得て、望み叶へて帰りけり」という言葉で終わります。
多くの解説では「この世は儚いもの」という解釈が定番です。
自分も将来を悩んでいたことはあるのでこの世が儚いと悟ることが、なぜ望みが叶ったと思えるのかかなり疑問に思っていました。
そこで原作「枕中記(ちんちゅうき)」という唐の時代の原作を読んでみました。
原作は能「邯鄲」とはじめの設定が違います。
一軒の食堂が舞台です。
トボトボと歩いている年老いた旅人が食堂の前にやってきます。そこに近くの村に住む盧生もくたびれた馬に乗ってやってきます。
店の前で一休みしている2人は言葉を交わすと話が弾んできます。盧生は自分の貧しい現状を嘆きはじめます。
旅人は盧生を励まします。
旅人「ずいぶん楽しそうに話をしていたじゃないですか〜」
盧生「この世に生まれたからには手柄を立て将軍や大臣となって美食を極め、一流の芸能人を集め、一族繁栄、一家福貴、、それでなければ楽しいとは言えないでしょう。学問をし高官になり世の中は意のままと思ったのに今は田んぼで泥にまみれています」
盧生は鬱積していたものを吐き出してしまうと眩暈がしてきます。
旅人「私の枕を貸してあげましょう」
これは青磁の枕でトンネルのように穴が空いています。その両橋の穴がどんどん大きくなってその中に入ってしまいました。そして枕のトンネルを抜けた先に一軒の家がありました。
そこで名家の美人の娘を妻にして過ごしています。土木工事の担当者になったり、軍隊の指揮をしチベットと戦争をしたり、妬まれて左遷されたりたくさんの経験をしながら出世していきます。
皇帝から最高の栄誉を受ける日の夕方、盧生は人生を終えます。
「人生終わったか、、」
そう思ったらあくびをしている自分に気づきます。
そして枕を貸してくれた老人が目の前にいます。
栄誉、屈辱、成功、失敗、生と死、全てを夢で経験した盧生は旅人に礼を言って帰っていくという物語です。
このお話はアーノルド・シュワルツネッガー主演の映画「トータル・リコール(原作『追憶売ります』)」や「スペース コブラ」にも通じる人の欲や記憶がテーマになっています。
人生のシミュレーションは特別な装置がなくてもやろうと思えばできます。
自分の人生もある意味、いつかみた夢のようでもあり、実際に経験しないと気が済まないこともあり、イメージしただけでもう満足ということも色々です。
控えめな方もいますが、どうしてもやりたい事をやり切った人生もシミュレーションして仮想体験してみると、実際に経験しないと気が済まない事柄が浮き上がってくるかもしれません。
夢はいろんな活用ができますね。私自身は、旅行とかはイメージでほぼ満足、「シロクマに食われなくてよかった〜」とか「崖から落ちなくてよかった〜」と空想だけで結構楽しめてます。
舞台の作品を作ること、本を書くことは、実際に体験したいことです。ここにいちばん重点的に時間かけてます。
舞台に関わっている時間を計算したら今の所おおよそ70000時間。まあまあ多いようにも思います。ある時人間国宝の先生方はどのくらいの時間になるのか計算してみたら、少ない方で15万時間でした。
ひとつの道だけでもまだまだ紆余曲折たのしめそうです。
※画像はAIで生成しました。
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 人生の楽しみと夢からのメッセージ【邯鄲】 - 2025年6月16日
- 「言霊」と「言挙げ」 - 2025年6月15日
- 宇宙人の心理学 - 2025年6月14日
- 牛の頭に人の体【砧】【自然居士】 - 2025年6月13日
コメントを投稿するにはログインしてください。