伝承はいろいろ
昨日、すみだ北斎美術館で珍しい事件に遭遇しました。エレベーター前に人の⚫️
ちょうど復刻した「須佐之男命厄神退治之図」をみた後だったので大祓詞の「くそへここだくの罪を天つ罪とのりわけて、、、」が頭に流れてきました。
そんなスサノウ命に対して天照大神が武装して迎える場面があります。
ここは『日本書紀』と『古事記』は同じような文章になってます。
まずは男の髪型に直すというのが面白いですね。男女ともに長髪だったからですね。
時代が下って神功皇后が出兵する時も男の髪型にする場面があります。
天武天皇の御代に髪型に関する詔があったのでそれが反映されているのかもしれません。
『日本書紀』と『古事記』が大きく違うのは天照大神の出生です。
『日本書紀』ではイザナギ、イザナミの両親から生まれます。そして四兄弟。
天照大神、月読命、蛭子、スサノウ命
『古事記』では黄泉から逃げたイザナギが禊をした時に天照大神が現れる。
ちなみに能の中で「アマテラスオオミカミ」と読む曲は一曲もありません。
天照大神
→テンショウダイジン
→あまてるおおんがみ
この2つのどちらかです。
伝承というのはいろいろあるものです。
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『日本書紀』口語訳
「弟がやって来るのは善意ではないにちがいない。きっと国を奪おうとする意志があるのだろう。だいたい両親の伊奘諾・伊奘冉尊が子供たちに命じておのおのその境を分けて領分を決められた。それなのになぜ自分が赴くべき国を棄ておいて、ここを窺窬しようとするのか」 と仰せられて、戦いの準備にかかられた。
その様子は、まず、髪を結んで髻になし、裳のすそを縛って袴にしたて、八坂瓊の五百箇の御統(大きな玉をたくさん連ねた連珠の飾り)〔御統、これを美須磨屡という〕を髻や鬘(髪飾り)や腕にまきつけ、また背には千箭(たくさんの矢)〔千箭、これを知能梨という〕の靫(矢入れの道具)と五百箭の靫を負い、腕には稜威〔稜威、これを伊都という〕の高鞆を装着し、弓筈を振りたて、剣の柄を握りしぼって、股までめりこむほど力強くしこを踏み、沫雪をふきとばすように蹴散らかし〔蹴散、これを倶穢簸箇須という〕、稜威の雄誥〔雄誥、これを嗚多稽眉という〕の声をあげ、稜威の嘖譲(責めなじること)〔嘖譲、これを挙廬毗という〕の声をあげて、素戔嗚尊を面と向かってなじり問われた。
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『古事記』
御髪を解き、御みづらに纒かして、左右の御みづらに、また御縵に、また左右の御手に、おのもおのも八尺の勾の五百津のみすまるの珠を纒き持たして、そびらには千入の靫を負ひ、ひらには五百入の靫を附け、またいつの竹鞆を取り佩かして、弓腹振り立てて、堅庭は向股に蹈みなづみ、沫雪如す蹶ゑ散かして、いつの男建、蹈み建びて、待ち問ひたまはく、「何の故にか上り来つる」ととひたまふ。
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