何千年も続く不正は終わるのか?
朝活は『続日本紀』聖武天皇、『日本書紀』、『聖書』マカバイ記
王に選ばれた宰相ヘリオドロスが神殿の預託金を着服しようとする場面を読む。
そこに神の使いが現れヘリオドロスを罰します。
『続日本紀』の本日読んだところにも不正の記述があります。
伏線として郡司の人数を減らしたこと。経費がかかるわりに政治がよくならない。その後、九州の不正に対して軍隊を送る。そして仏像をつくらせます。
不正に対して事務的な法改革やことではなく神仏の力に頼ろうとする。
悪い意味の他力本願思想が『聖書』にも『続日本紀』にも描かれています。
『日本書紀』では天照大神とスサノウ神が誓をする場面。
何か周りにいる人の話し合いで直接的に白黒つけようとしない。
コミュニティの運営として白黒つけない方がいいこともあります。
今も関わるコミュニティ2つで返事待ち。今回は返事の催促は一切しない選択をしました。
こうした時に神仏に頼るのか??
それじゃ不正は無くならないなぁと痛感しました。
人の問題は人が解決しない限り何千年続く人類の不正の歴史は終わることはありません。
官僚多すぎ、経費かかりすぎの問題も奈良時代から続く日本の課題です。
日本人は全て善良という幻想的な話はいい気分なることはできますが何も解決しません。
政治家の学歴、国籍、詐称や不正、裏金などの情報が錯綜しています。
『日本書紀』『続日本紀』を読んでいるとあるのが普通。天照大神の時代から代表者の裏切り、直接的に問題解決しない優柔不断なリーダー像は何も変わっていません。
自分の国の歴史はしっかり学ばないと判断基準を失いますね。
何千年も続く不正の歴史は終わることがあるのか。光と陰のようにセットなのかな。
神仏が解決してくれないことは歴史を見れば明らかです。
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『聖書』
‘彼がその護衛兵と共に宝庫に足を踏み入れたまさにそのとき、霊とすべての権威を支配する者のすさまじい出現があり、不遜な侵入者たちは皆、神の力の一撃におののいて腰を抜かした。マカバイ記 二 書簡 3:24
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『続日本紀』
天平11年(739)五月二十三日 次のように詔した。
諸国の郡司は必要以上に人数が多いので、任用しても益がなく、人民の生活を侵し損い、害をなすことが実に多い。
よって旧来の人数を減らし、次のような定員に改める。
大郡には大領・少領・主政が各一人と主帳が二人、上郡には大領・少領・主政・主帳が各一人、中郡には大領・少領・主帳が各一人、下郡も中郡と同じ、小郡には郡領と主帳が各一人とする。
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天平12年九月十五日
四畿内と七道諸国に次のように勅した。
このごろ、筑紫(九州)の地方に無法の臣下があらわれたので、軍に命じて討伐させている。
⭕️仏のありがたい助けにより、人民を安泰にさせたいと願っている。そのため今、国ごとに高さ七尺の観世音菩薩像を一体宛造るとともに、観世音経十巻を写経するように。
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※画像はAIで生成しました。
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