争いの根っこ
朝活は『続日本紀』聖武天皇、『日本書紀』神代、『聖書』マタイ、clubhouse『日本書紀』はテキスト一冊読了。
『古事記』『日本書紀』というのは天皇の御代になってからがメインパート。
『聖書』でノアの方舟が全てと思っている人はなかやかいないと思いますが、、『古事記』『日本書紀』は神話だと思っている人がけっこう多い。一般の本屋さんで売れ筋なのも『古事記』の神話部分をさまざまに解釈したものが多いです。
神話はコース料理だったら前菜です。メインは天皇の御代になってから。ここ読まないと神話も変なSFになってしまいます。なにしろ神話だけだとと記録とどう関連しているのか全くわからなくなってしまいます。
これは『旧約聖書』を読まないと何が『新約』なのか理解できないのと同じです。
さてさて本日clubhouse『日本書紀』のメンバーの感想が面白かった!
「武士道精神ってないんですね!」
ないです!!武士道精神は日本古来のものではありません。
なぜかといえば武士は出てこないからです。
『日本書紀』にも『古事記』にも正々堂々と戦うような勝者はいない。
戦国時代から昭和までの戦争も正々堂々と正面からぶつかっているわけでありません。そんな事をしたらあっという間に全滅です。映画とかの一騎打ちの場面だけが印象的なのかもしれないですね。
話は戻って本日は『日本書紀』の兄弟喧嘩の場面が印象に残りました。
崇神天皇60年
崇神天皇は使いに出雲国にある神宝を見てくるように詔します。
出雲国の神宝を管理者が留守の時にその弟が天皇の神宝をあげてしまいます。
兄は弟を恨み殺害計画を立てます。
木刀をつくって持ち、川で水浴びに誘います。仲良く水浴びしていると兄は先に川から上がり弟の太刀をとって弟に斬りかかります。
弟は兄の太刀を手に取りますが木刀なので抜くこともできず殺されてしまいます。
報告を受けた朝廷はこの兄を処刑します。
海幸彦、山幸彦の兄弟喧嘩、『聖書』ではカインとアベル、『古事記』では兄弟として描かれる日本と新羅、全ての争いは兄弟喧嘩のような近い関係性が生まれます。
土地の争いも隣同士、相続も親戚、全く関係ない人と突然争うことはまずありません。
音楽でも隣合った音は調和しにくい。
チューニングの基準音440と442で演奏したらかなり気持ち悪い。
ぴったりの一歩手前が1番イラっとするポイントでもあります。
争いそっているのは外から見たら似たもの同士という自覚も必要ですね。
「あの2人似てるよね〜」
兄弟喧嘩はどこにでもありそうなものですが、意外に根が深く残る場合もあるので要注意です。
※画像はAIで生成しました。
思ったのと全然違うよりも微妙に違う感覚。
また争いは同じレベルから生まれます。
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