九宮と般若心経
九宮と般若心経
朝活は『続日本紀』廃帝淳仁天皇、『日本書紀』、『聖書』マタイ
淳仁天皇は弘文天皇と同じく明治時代に贈られた諱です。
江戸時代には存在してません。
神功皇后、ヤマトタケル尊、飯豊天皇などは系譜に入らなくなり、淳仁天皇、弘文天皇という名称ができ系譜に追加されました。
明治にはいろいろなものが変わってますね。
明治にできた代表的なものといえば嘉納治五郎の「柔道」、園田真次郎の「気学」がパッと思い浮かびます。
よく広告で皇室に受け継がれた帝王学的な表現で九星気学の広告が流れてきます。明治にできたものが何千年も受け継がれているとはなかなか斬新です。
そんな758年の陰陽寮では九宮を使っていた記録があります。この時の九宮は占星術です。天文台とか気象庁のような意味で使われています。今は人工衛星の方が確率が高いでしょう。
これが空の星とは関係なくなり数値化されて九星気学の原型になってきます。
もともと人の感覚は鋭いものです。数値化されたりデータに頼り始めると感覚よりもデータを優先してしまう。そのデータが正確なものならいいですが中途半端な万年暦では天気を予想するのはかなり困難だったのではないかと想像してます。
また昨今でも広まっている般若心経もこの時に暇さえあれば口にするよう布告されています。祈願内容も決まっています。
九宮、般若心経にパワーがあるないはともかく、
国民全員が同じ想いで祈っている事に意味があるように思います。そのキーになるものたまたまこの時は般若心経だった。
それぞれごバラバラな個人祈願をしているのならいくらパワーがあると言う呪文を唱えたところで本人の努力以上の効果はないように思いますが、、、面と向かって言うことはありません。
国家の祈りというのは多くの人の想いがあって効果があるように思います。
天下泰平、国土安穏
言い回しが違っても思うところは同じ人との繋がりは貴重です。
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『続日本紀』
天平宝字二年(758)八月十八日
天皇は次のように勅した。
大史局(陰陽寮、後の二十五日条に出る)が奏上していうのには、「『九宮経(古い占いの書)」をしらべてみると、来年の己亥の年は三合(陰陽道でいう厄年の一つ。大歳・太陰・客気の三神が一年の中に合しこれを大凶とする)に当ります。「九宮経』に三合の年は洪水・日照り・疫病の災難がおこるといっております。
聞くところでは、『摩訶若波羅蜜多羅」は諸仏の母であるとされています。四句の偈(仏をたたえる詩)などを覚えて読誦すれば、福徳が集まってきて、その功徳は考えられない程であるといわれます。
そこで天子がこれを念ずる時は、兵乱や災害は国内に入らず、庶民が念じたならば、病気や厄病神は家の中へ入らず、悪を断ち幸福を得るにはこれ以上のものはありません」と。
そこで天下の諸国に布告して、男女老若となく行住座臥、口にひまがあれば、みな「摩詞般若波羅蜜多経』を念話させるようにせよ。文武百官の人たちも、朝廷に出仕して官庁に赴く時、途中の道路上においても毎日常に念じて、往来の時間を無駄にすることがないようにせよ。
願うところは風雨が時節どおりで、洪水や日照りの災厄が全くなく、寒暖が順調で、ことごとく病気の災いをのがれるようにということである。広く遠近の諸方に告知して、の意向を知らせるようにせよ。
※画像はAIで生成しました。
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