昔から変わらない事
朝活は『続日本紀』淳仁天皇、『日本書紀』『聖書』マルコ
今日、印象に残ったのは太宰府から朝廷への奏上です。日本は昔から変わらない政治の問題を抱えている。
名前しか知らない吉備真備の人間像も浮かんできてより興味が湧いてきます。
天平宝字三年(759)
太宰府で奏上して問題は四つ
①防衛のための船が足りない
②国境の防衛が実質ない事
③城の建設が遅れている
④予算が不足している
これに対する天皇の詔は
①船は国民の労働奉仕でつくる
②太宰府の要求は受け入れない
③吉備真備に従え
④減税の効果が出るはず
唐に残った阿倍仲麻呂は「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」と歌を詠み、楊貴妃が3年前に亡くなり、白居易が13年後に産まれる。
いま親中派と言われる方々は1300年前に生まれてたらいい外交ができたかもしれないですね。
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大宰府の官人として管内を見ますと、現在不安に考えることが四つあります。
警固式(大宰府警団の細則集)によると、博多の大津および壱成・対馬などの要害の地には、百夏以上の船をおいて、不測の事態に備えることになっていますが、現在は使用できる船がなく、すべていざという場合に間に合いません。これが第一の不安であります。
大宰府は三方が海に面しており、もろもろの蓄国と向きあっています。しかるに東国の防人を停止してから、国境の守りは日毎に荒れ果てていきます。もし不慮のことが起こり、万ーの事変がおこれば、どのようにして俄かの事態に応じ、どのようにしてわが方の威力を示すことができましょうか。これが第二の不安であります。
管内の防人はもっぱら城を造ることを停止し、武芸の修練につとめ、戦場での陣立てを習うことになっています。しかし大宰大弐の吉備朝臣真備は「古人も農耕をし、また戦闘もするのはよいことである、といっているから、五十日間武芸を教習し、十日間城を築く労役につかせよう」と論じています。真備の請うように行なうべきであるといっても、大宰府の役人の中には、賛同しない者もあります。これが不安の第三であります。
天平四年八月二十二日に勅があり、西海道諸国にいる兵士たちは、調・庸をすべて免除し、地域の白丁(無位無官の庶民)は、調を免除して庸だけを輸納させることになりました。当時としてはそれで民は休養でき、兵は強くなり、まさに国境の鎮めと言うべきでした。今管内の人民は、窮乏の極みにあるものが多く、租税の労役の減免がなければ、自立することができないでしょう。これが不安の第四であります。
これに対して天皇は次のように勅した。
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※※画像は西安、興慶宮の模型です。阿倍仲麻呂は楊貴妃のお茶会にも呼ばれていたそうです。
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