トインビー の言葉
トインビーの言葉
本日は靖国神社秋季例大祭に参加しました。
最後の挨拶で「認知戦」に気をつけるという話がありました。戦後80年、日本は兵器を使った外国との戦場にはなっていません。SNSとうでの風評や出典不明の噂話を信じて広めることに加担してしまってないかという内容でした。そこで「トインビーは自国の歴史を学ばない民族はほろびる云々」という話が出ました。
これこそまさに認知戦の象徴のような文言です。
昨今、講演会でトインビーの言葉を引用する人がいます。これって本当にトインビー?
トインビーの著書は膨大ですから全部読むのはかなりの時間がかかります。
「和をもって貴し」のように分脈関係なく切り取られた言葉ではありそうな匂いがします。
トインビーの「わが歴史観」をはじめ翻訳されたトインビーの著書を読む限り「自国の歴史を学ばない民族は滅びる」という根っこはないように思えます。むしろ真逆。
全体に自国だけではなく全体から物を見るような視点で語られることがおおい。
日本では創価学会と深いつながりがあり池田大作氏との対談も出版されています。
対談の話が微妙に噛み合ってないところが面白い
通訳の方の基礎知識なのか??
賛否両論あるにしてもある意味2人は巨人です。両氏の哲学的な言葉をその場で通訳するのはかなり大変だったことは想像できます。
トインビーを引用する人は無知なのかわざとしているのか知りません。素直に歴史を学ぼうとする人の気持ちをふみにじるような出典不明の美談をあたかも真実のように話すことには疑問を持っています。
ここで江戸時代の流行語
「講談師、見てきたような嘘をつき」
水戸黄門、大岡越前、鬼平犯科帳など好きでも本当の歴史ではないとわかっているから面白い。
本当だと思って真剣に聞いていたことが嘘だとわかったときの怒りというのかだまされた感というのか、なんとも言えないものがあります。
トインビーを引用している人はエンタメとして聞くようにしています。政治家だけでなく立場で信用するのは要注意です。
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「わが歴史観」アーノルド・トインビー著
わたくしのおかあさんの時代に、お寺であろうが学校であろうが、イギリスでもヨーロッパのどの国でも、ひっきりなしに聞かされる歴史のお説教といえば、⭕️何でもかでも国民史の研究を奨励することばかりで、それがまた、国民史というものがその他の場所、その他の時代の歴史よりも自国の人々の生活により密接な関係をもつものであり、それゆえに彼ら歴史家の理解力にとっても何がなしに、より近づきやすいものだという誤った考えにもとづいて奨励されていたのであります。(何ぞ知らん、事実においては、イエスの時代のパレスチナ、プラトン時代のギリシァの方が、アルフレッド大王時代の、もしくはエリザベス女王時代のイギリスよりもはるかに、ヴィクトリア王朝期のイギリスの男女の生活においては強大な効力を発揮していることを夢にも思わなかったのであります。)
⭕️しかも、われわれがたまたま生れ落ちた特定の一国の歴史を聖化しようというこのヴィクトリア王朝式の誤った方向にもかかわらずーこれはまた英国史の父といわれるかのヴェネラプル・ビードの精神からもはなはだ遠いものであるにもかかわらずーーヴィクトリア王朝時代の英人の歴史に対する無意識の態度というものは、何だか全然歴史の外側に住んでいる人間の態度といったようなものでした。
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『二十一世紀への対話』聖教新聞社
池田大作/アーノルド・トインビー対談
訳者あとがき
翻訳上苦労したのは、やはりトインビー博士特有のいいまわしと、その基本概念を示す用語の表現の仕方だった。creative minority, rich minority, poor majorityなどは、それぞれ〝創造的少数者〟〝富裕少数者〟〝貧困多数者〟に、またchallenge and responseは〝挑戦と応戦〟にと、おおむね従来の翻訳書の訳語を踏襲したが、たとえば〝究極の霊的実在〟とも訳せるultimate spiritual realityについては、本書では〝究極の精神的実在〟に統一した。またnationalismは、トインビー概念では〝民族主義〟よりも〝国家主義〟に近いと思われるので後者をとったが、たんに〝ナショナリズム〟とした個所もある。
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