対人トラブル回避の教え
聖書のテモテへの手紙に「教会の人々に対して」という章があります。教会に所属していないかたも会社とかクラブとか自分の所属しているコミュニティー内のひととの接し方や対人関係のトラブル回避に役立ちます。
やもめは英文ではwidowになっているので未亡人です。

老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。
若い男は兄弟と思い、
年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。
身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。
やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。
身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、 放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。
やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。 自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。
やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、 善い行いで評判の良い人でなければなりません。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません。
年若いやもめは登録してはなりません。というのは、彼女たちは、情欲にかられてキリストから離れると、結婚したがるようになり、 前にした約束を破ったという非難を受けることになるからです。 その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更に、ただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします。 だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。 既に道を踏み外し、サタンにいて行ったやもめもいるからです。
信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。
よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。 聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。
長老に反対する訴えは、二人あるいは三人の証人がいなければ、受理してはなりません。
罪を犯している者に対しては、皆の前でとがめなさい。そうすれば、ほかの者も恐れを抱くようになります。 神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じる。偏見を持たずにこれらの指示に従いなさい。何事をするにも、えこひいきはなりません。
性急にだれにでも手を置いてはなりません。他人の罪に加わってもなりません。いつも潔白でいなさい。
これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい。
ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります。 同じように、良い行いも明白です。そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 人間国宝の競演【半蔀】 - 2025年4月30日
- 2025年4月29日「華曄會(かようかい)」 - 2025年4月29日
- 隙間を塞ぐ発想【玉井】 - 2025年4月28日
- 『日本書紀』clubhouseリンク集 - 2025年4月27日