古事記 完読会 5週目 感想
5①天菩比神と天若日子
②建御雷神と国譲り
③天降り
④猿女君
⑤木花之佐久夜毗売
⑥日子穂々出見命
現世で起こっているテンプレートが神話だと思えるところからはじまる。よく合言葉のように「神様だって完璧ではない」という表現がある。捉え方だが現世のパターンなだけだと考えられる。それなので現世で起こることが完璧に神代に沿っているという方が今の自分には納得感がある。
「返事をしない」のは既読スルーをはじめトラブルの大きな種であることは神代でも記紀の記述でも現在でも全く同じ。
そして返事をしないことを咎められるのは絶大な権力者しかいない。対等の立場で返事をしないことを咎めれば戦争か逆ギレかトラブルか絶縁のどちらかで全く良いことがない。
返事をしない関係性は仕事の紹介もないだろうし、もし紹介したら自分の信用も失ってしまう。
中国平定の担当者を決める際は高御産巣日神、国譲りのスクナビコナは神産巣日の御祖神となっている。これを高木神と解釈する方が自然な感じがする。
全体に日本書紀より記述が短い。これは語った内容が少なかったのかもしれないし、慣れない日本語の漢字表記のため発音が表記しづらい箇所は割愛したのかもしれない。
国譲りの記述をもとに井上毅が提唱したウシハク論がある。本居宣長が『古事記伝』に記載しているように『万葉集』の言葉の意味を無視した強引な解釈のように思う。現在の言葉の印象で1300年前の文章を読むのは意味を取り違えやすい。
また歴史のことが書いてあるので歴史書と言われているが、ナマコの口を割いたり猿田彦と猿女の記述は関係がないように思える。これは倭姫命につながる布石だと思う。
海佐知、山佐知の神話は記紀以外の書物もおおかた同じようなストーリーになっている。最高神と言われる天照大神の出生に多様な説があるのに対しこのエピソードが違う書物でも同じように残っていることが興味深い。
アシカの皮の記述が『出エジプト記』のじゅごんの皮に通じるものを感じる。
全体に『古事記』には父子、兄弟の確執が日本国民の原罪のように描かれている。信じて読んでいると思い込みになり潜在意識に刷り込まれていく。『日本書紀』も合わせて読んでおくことが心の健全さにつながる
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