日本書紀 完読会 17週目 感想
20231126
310-339
允恭天皇の紀は人間ドラマという感じがする。各天皇で特徴が違うのは当然だが、神功皇后からの物語からすると非常に人間臭い記述になっているように感じてしまう。皇后が馬に乗った人の無礼を咎めるのも何か韓国ドラマのようで皇后のおおらかさを感じない。よっぽど屈辱を感じたのだろうか。
新羅から医者をよび返すというのも現代のような海外との行き来を感じる。何事も便利になってからみると昔が不便に感じるがそれしかないと思っていれば強い不満も感じないのかともう。
今はこの文章もワープロで打っているが、ペンで書いていたらそういうものだと受け入れている。海外旅行も現代の韓国に行くような感じからすれば昔は時間がかかるものだ。それでも裕福な人の快適な船旅ならばそれなりに道中も楽しいものかもしれない。
百姓がコントロールできなくなっている記述がしばしば登場する。帰化した人や元蝦夷も多いわけなので反抗しているというよりは言語のメッセージが伝わりにくいのかもしれない。
それぞれに天孫の子孫だと言い始めているという事に憤りを感じているのかクカタチはたまらない。偽るものがいなくなったというより先に謝ってクカタチは避けたいのが心情ではなかろうか。
烏賊津使主の座り込みも懐の糟を食べていたのは良いにしてもトイレはどうしていたのかが気になるところ。
雄略天皇の誕生前の皇后の精神状態が気になるところ。現代の胎内記憶からしても後の影響を感じさせる記述になっている。またここは木花開耶姫にも通じる場面だと思う。
「我が夫子、、」の歌は能でも馴染みがある。この辺りから万葉集ともリンクしてくるイメージがある。
皇后の天皇に対する弟姫への牽制の記述もそうだが、どうもこの御代の記述はゴシップ的な事柄が多いような印象がある。それだけ政治が混乱していた時期だということなのだろう。
阿波の海人の場面は能「海人」の腰に紐をつけて潜っていく場面を彷彿とさせる。深いところに潜るときには引っ張り上げてもらうのが通例だったのかもしれない。
新羅の使いが畝傍山をなまってしまう場面を見ると魏志倭人伝の卑弥呼はそれ以上の聞き間違いで書かれたものだろうと思える。女王だけを採用して調査するのが吉。今週もありがとうございました。
最新記事 by 森澤勇司 (全て見る)
- 日本の成り立ちアーカイブ - 2024年6月4日
- 日本書紀 完読会 38週 感想 - 2024年4月21日
- 20240414 日本書紀完読会37週目 - 2024年4月14日
- 日本書紀 完読会 35週目 - 2024年4月14日