「目的」と「手段」の矛盾
「目的」と「手段」の矛盾
今日は朝から結構過密でズームと稽古三昧でした😃
毎日曜日に『日本書紀』を読む時間があります。今日は宝鏡奉斎の神勅、斎庭稲穂の神勅の箇所でした。ここで頭に浮かんできたことを残しておこうと思います。
日本には三大神勅があります。
①天壌無窮の神勅
②宝鏡奉斎の神勅
③斎庭稲穂の神勅
神社関係や日本のことを大切にしようという集まりでも必ず登場する神勅です。
天孫降臨の際に天照大神から瓊瓊杵(ニニギ)尊が賜ったと言われることが定番です。
しかし、、、原典を読んでみるとさまざまな疑問が湧いてきます。
一般的にインターネットで検索できる三大神勅は『日本書紀』の文言をもとに読み下した文章が掲載されています。
『古事記』には天壌無窮の神勅、宝鏡奉斎の神勅に内容が同じものは掲載されています。斎庭稲穂の神勅は掲載されていません。
「此の豊葦原の水穂国は、次知らさむ国ぞと言依さし賜ふ。故命のまにまに天降るべし」『古事記』
「此の鏡は、もはら我が御魂と為て、吾が前を拝むが如く、いつき奉れ。次に、思金神は、前の事を取り持ちて政をなせ」『古事記』
『日本書紀』では天照大神から瓊瓊杵尊に天壌無窮の神勅があります。
▶︎「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の玉たるべき地なり。宣爾皇孫、就でまして治せ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壊と窮り無けむ」
宝鏡奉斎の神勅、斎庭稲穂の神勅は「一書(あるふみ)」にあります。
天照大神が手に鏡を持ち、その子”天忍穂耳尊(オシホミミ)”に授けます。
▶︎「吾が児、この宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして斎鏡とすべし」
そして天児屋命、太玉命に守護を頼み追加して勅があります。
▶︎「吾が高天原に所御す斎庭の穂をもって、亦、吾が児に御せまつるべし」
この勅が授けられ葦原中国に向かう途中、瓊瓊杵尊が誕生します。
そして天忍穂耳尊に代わり瓊瓊杵尊を親の代わりに降らせるという記載になっています。
つまり宝鏡奉斎の神勅、斎庭稲穂の神勅の記載の箇所では瓊瓊杵尊はまだ生まれていません。
有名な日本画で瓊瓊杵尊が天照大神から稲穂を受け取っているものがあります。絵画が有名になってしまうと原典よりも力を持ってしまうことがあります。
自分の周りにも日本の神話を後世に伝えたいという人は多いのですが、、Youtubeやインターネットで検索したものを情報源にするのは気をつけないといけないことです。
本当に伝えたかったらせめて読み下しの原典を読むくらいはしたほうがよいです。
最近はAIが入ってきて便利にはなりましたが能楽はじめ古典に関することはちょっと違うレベルではなく荒唐無稽な答えを出してくるので注意が必要です。
先日も小野小町の歌に関して検索したら能「船弁慶」に引用されている、、その他も多数間違った情報が普通に提示されます。
AIが絡んでいるだけにモットモそうな言い回しになっているところがなんとも面白い。
やりたい事とやっている事は矛盾がないようにしたいものです。
※画像はうちの下に咲いていたサボテンの花です。
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