「できる」と「わかる」
「できる」と「わかる」
今日は「難しい」ってあるの?
という疑問が湧いたので
「難しい」をお題にしてみました。
能をしていると話すとお約束のように「難しそうですね〜」と言われる事があります。
難しいという言葉は幼少の時から馴染みのある言葉です。
「森澤」というと「”さわ”は難しい方ですか?」とかなりの確率で聞かれます。
幼少の時から書いてますから「難しい」と感じることはありません。
3回に1回だけかけるような難易度はなく、3回のうち3回かけますから練習しなくても「できる」ようになってます。
この「澤」が「難しい」と言われるのは単純に「画数が多い」からです。
能も「難しい」と言われます。「言ってる事がわからない」これは謡の文言で小鼓の事ではありません。
小鼓は主に右手の前腕だけ動かしますからピアノでバッハを引くより単純です。
「単純」なら「簡単」かというと「簡単」とは言えないものです。「シンプル」と言えばなんとなくわかったふうの言い回しになります。
小鼓のワークショップは30分でできるようになった事を一曲発表会までしています。
鉄棒で大車輪やバク転をしたり、大リーグでMVPになるような難易度はありません。
それでも「できる」、「難しい」と言ってるのに「できる」のに「難しい」と言われる。
こういう哲学的な話は言葉の定義がないまま進むので延々と答えが出ない会話になりがちです。
そんな経験から自分の中では「難しい」というのは物事に備わっているものでは無いと思うようになりました。
「難しい」という口グセは能に限らず、料理やスポーツ、なんでも「難しい」と言わずにはすまない人の癖のようなものだと思うようになりました。
夢や目標に対しても安易に「難しい」という言葉は使わない方がいいと言われます。
そして古語で「難しい」は「キモい」という意味です。
思ったとしても初対面の人に「キモい」とは言わない方がいいかもしれません。
そこまで下書きして、戻ってきてから続きを書いてます。
「あなたが文章を書くとき、どんな喜びやうれしさを感じますか?」
前の「難しい」とも通じた答えがあります。私は今のところ未来の自分に向けて書いています。
その未来の自分にメッセージを残せた喜び、それを近未来の自分になって読んでいるうれしさの先取りもあり87記事めになりました。
まずは100記事という設定も順調に進んでいるので100記事めに何が出てくるのかも楽しみです。
そして一区切りまで「できる」を継続してしてみると何か感じるところがあると思います。この時の感想を「わかる」というものなんだろうと思っています。
※画像はAIで生成しました

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森澤勇司(もりさわゆうじ)
能楽師小鼓方
1967年東京都生まれ。
テンプル大学在学中に見たこともない能楽界に入門し32歳で独立。
2000番以上の舞台に出演している。
43歳で脳梗塞で入院、
退院後、うつ状態克服のため心理学、脳科学を学ぶ。
復帰後は古典的な能楽公演を中心に活動している。
著書『ビジネス番「風姿花伝」の教え』
明治天皇生誕150年奉納能、
映画「失楽園」、大河ドラマ「秀吉」に
能楽師として出演。
2014年 重要無形文化財能楽保持者に選出される
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