脱プロパガンダ
脱プロパガンダ
『源氏物語』浮舟、『日本書紀』顕宗天皇、『聖書』士師記、ルツ記、サムエル記
『源氏物語』浮舟は薫と匂宮との関係に疲弊し入水を決意する、
『聖書』神を無視するイスラエルの民、ボアズ→オベト→エッサイ→ダビデまでの系譜、サムエルの誕生。
ダビデは名前から勇壮なイメージがありますが義経とイメージが被るところがあります。
そんな朝活で頭に浮かんできた言葉は「確執」と「怨みのはらし方」
記録や文書は考古学とセットになって事実かどうか判断されます。
文書だけなら「仮説」しかありません。一般の歴史を扱った「〇〇の真実」とか仮説なのにあたかも事実のように書いてあるものが多いです。そんなわけで『日本書紀』『古事記』は読んでますが何が本とかではなく「そう書いてある」と知る以上に変な素人仮説や
思い込みは持たないようにしています。
『日本書紀』と『古事記』でも記載が違うところも多々あります。
顕宗天皇の雄略天皇への復讐もそのひとつです。
清寧天皇には皇后も子もなく後継者がないことが大問題になっていました。
16代から26代までは皇位争いが激しい時代です。
父親 雄略天皇が皇位争いで殺してしまった押磐皇子の2人の皇子が発見されます。
清寧天皇は大いに喜び皇子として2人を迎えます。弟はのちの顕宗天皇、兄はのちの仁賢天皇です。
顕宗天皇は皇位を継いだあと、父親 押磐皇子の埋葬場所を探します。
そして父親が雄略天皇により騙されて殺された怨みを晴らすため雄略天皇の陵を破壊し骨を投げちらかしてしまうことを兄に相談します。
兄 億計皇子(後の仁賢天皇)は世話になった清寧天皇の父親であること、天皇の立場になったというのは選ばれた人であったこと、当代の天皇として徳のある姿勢を国民に見せることなどをさとし思いとどまらせます。
『古事記』は記述が違い兄がすでに壊してきたと天皇に伝えます。
—————-
兄「すでに掘り壊ちつ」
天皇「いかに破壊ちたまひつる」
兄「陵の傍らの土を少し掘りつ」
天皇「父王の仇を報いむと思はば、必ず悉くその陵を破壊たむを、何ぞ少し掘りたまひつる」
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なんで全部壊さなかったんだ!!
そのあとは兄の理由を聞き納得する記述になっています。
雄略天皇の陵は江戸時代の文献にも絵がありますが現在のように堀がいびつな形になっています。
少し掘ったというとシャベルで植木鉢の土を救うようなイメージですが、、、
兄「故、陵の辺を少し掘りつつ。すでにこの恥ずかしめを以ち後の世に示すに足りなむ」
天皇陵は考古学的検証がされることはないでしょうが、後世に残るような破壊だったら少しの規模はけっこうな大きさです。
126代、1日も休みなく国民の平和を祈り続けているという幻想的なお話をする方もいますが、王位不在の時期があるので1日も休みなくはちょっと言い過ぎですね。これではプロパガンダです。
自国の成り立ちについて先人の残した資料は、盛ったり下げたりすることなく記録として読みたいものです。
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