平安貴族と現代人
平安貴族と現代人
朝活『源氏物語』浮舟、『日本書紀』武烈天皇、『聖書』サムエル記
こうして並べてみるとペリシテ人とヘブライ人(イスラエル人のちのユダヤ人)の戦争
モーセ、ヨシュアから続く略奪と大量虐殺が続きます。
『日本書紀』は汚職と不義理
大臣平群真鳥臣は政治経済をほしいままにし王のような振る舞いを始めます。皇太子の宮と偽り自分の住まいを作ってしまいます。
どっかの議員さんが豪邸を立てたようなお話です。
そして皇太子の后候補 影媛に婚礼の仲人として使いに出します。また真鳥臣の子 シビが自分のものにしてしまいます。
これは景行天皇が后候補に長男 大碓命を使いに出したときや
履中天皇が后候補に弟 仲皇子を使いに出した時と全く同じパターンです。
天孫降臨の前から代理人の裏切りはお約束とも思えるほど高確率です。
そして、天皇が怒り軍隊を送り報復し全滅させてしまうのも同じパターンです。
大祓詞にも記載される「神、掃へに掃へ給ひて」徹底的な「祓ひ」は非常に激しいものだと感じます。
そのあたりから約500年たち『源氏物語』平安時代になると全く違う反応です。
不貞があっても悲しみ和歌を詠み月を見上げて出家を願う。
古今東西、敵は敵、穢れは穢れとしか思わない時代から自責文化へ「こんな私のせいだから」
かつて寺に行くように心のことを学び自分が変われば救われると思っている現代人と平安貴族はイメージご被ります。
これは進化なのか退化なのか
また、戦国時代から江戸幕府ができる頃まで激しい時代になり、また自責文化へ
こう見ていると人の思考というのも一方向に成熟していくものではなく、呼吸をするように他責、自責の思いが行ったり来たりしているようにも見えてきます。
世阿弥 作「敦盛」に「、、悪人の友を振り捨てて善人の敵を招け、、、」という文言があります。これは古代日本ではあり得ない発想です。
民族は、進化、成熟するものなのか。はたまた他責、自責を繰り返しているだけなのか。
後者だともういつ戦争が起こってもおかしくないサイクルが来ています。
進化成熟の方向に進んで欲しいのは自分だけでしょうか?
※画像はAIで生成しました。
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