文化の根っこは暦
文化の根っこは暦
今年の
旧暦では六月が2回
今日は閏六月十五日
8月23日から旧七月
この時期いつも疑問に思うこと
文化を壊すのは悪意ではなく。無知の善意。よかれと思ってしていること
自分は旧暦信奉者ではありません。昔のことを調べるときはその時代にあった暦が必要だと思うことが多いです。
暦というのは不思議なもので、どんな反社でも暦にしたがっているんですよね。
天保暦を作った渋川春海と長州5のひとり鉄道の父井上勝が同じ墓地でした。
1685年の改暦に尽力した人
1874年の改暦に尽力した人
今使っている文化も歴史の1ページなんだと実感します。
命をかけて作った暦が約190年使われて改暦になれば不要になる。
お墓はこぢんまりしていますがその時々で全力を尽くした二人の墓地を見ていると人は生きている時が全てかとも思えてきました。
同じ時代に生きていたら相反する功績ですが、違う時代の改暦にまつわる苦労やこだわりポイントが聞こえてくるようでした。
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墓標
初代鉄道頭
井上勝
1843(天保14)年〜1910(明治43)年
”鉄道の父”と称される井上勝は、萩藩士の三男として生まれた。15才から長崎、江戸で学び、1863(文久3)年井上馨、伊藤博文らとともにイギリスに密航し、鉄道と鉱山技術を学ぶ。日本の鉄道建設に最初から関わり、1871(明治4)年には初代鉄道頭となり、1872(明治5)年、新橋・横浜間の鉄道を完成させた。その後、鉄道局長、鉄道庁長官を歴任して、東海道線をはじめとする主要路線の建設に努めるなど、生涯を鉄道に捧げた。外国から導入した鉄道を、日本の鉄道として発展させた功績は多大である。生前、自らの墓所として東海道本線と山手線(現在は新幹線も並走)に挟まれたこの地を選んだのは、死後も鉄道を見守っていたいという意向からであったと伝えられている。
渋川春海
渋川春海は、寛永十六年(一六三九)に京都で生れ、
十四歳で父の跡をついで幕府の基所となり安井算折(二代)と称した。囲碁の研鑽の一方で天文・数学・暦学を学び暦学者となった。
その頃、日本では中国の宣明暦を使っていたが、二日の誤差があったので、春海はみずから計算して
新しい唇を作った。これが貞享元年(一六八四)に官暦
となり翌年から用いられ、貴として後の太陰暦の基本となったのである。
貞享暦は日本人の手で作られた初めての和暦であり、春海はこの功によって、幕府最初の天文方に任ぜられ、本所(墨田区)に、宅地を拝領した。春海は、屋敷内に司天台(天文台)を設けて天体の観測にあたった。これが江戸で最初の天文台である。
春海は正徳五年(一七一五)十月六日に七十七歳で亡くなり、この地に葬られた。
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