日韓問題の根っこ
朝活は『続日本紀』淳仁天皇、『日本書紀』垂仁天皇、『聖書』ヨハネ
何日続けてるのか数えてませんがけっこう続くものです。早朝移動の日は無しにしてます。
今日は日本と朝鮮半島の関係が印象に残りました。
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『日本書紀』
垂仁天皇元年十月に、更に纏向に都つる。是を珠城宮と調ふ。
是歳、任那人 蘇那葛叱智(ソナカシチ)請さく、「国に帰りなむ」とまうす。
けだし先皇の世に来朝て未だ還らざるか。故、蘇那葛叱智に敦く賞す。より赤絹一百匹をもたせて任那の王に賜す。
然して新羅人、道に遮へて奪ひつ。かの二つの国の怨、始めて是の時に起る。
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長年、天皇に仕えていた任那人に託した任那王へのお土産を新羅人が強奪してしまう。
この任那は日本側からすると天皇の名前に由来するほと重要な国でした。
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垂仁天皇二年
汝が本国の名を改めて、追ひて御間城天皇(崇神天皇)の御名を負りて、すなわち汝が国の名にせよ」とのたまふ。
故、その国を弥摩那国というは、それこの縁なり。
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研究者によれば任那から御間城入彦天皇の名前になったという説も、、
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神功皇后は宝の国として三韓征伐に出向き、任那には日本府を置き王の即位を日本におうかがいを立てていたように記載されています。
朝鮮半島と一言に言っても
日本→百済、任那は友好的
新羅とは逆
ただし任那の日本府の役人は新羅派が多い。
いつの時代も政治は複雑です。
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『古事記』によれば
故其の大年神、神活湏毗神の女、伊怒比売に娶ひて生める子、大国御魂神。次に韓神(朝鮮半島)。次に曽冨理神(ソウル)。次に白日神(新羅)。
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この大年神はスサノウと大山津見神のむすめとの子になってます。
天岩戸からずっと天照大神とスサノウの兄弟喧嘩の系譜が続いているようにも見えてきます。
争いの根っこ
ちなみに日本で曽冨理神が祀られるようになったのは平安時代以後という説もあります。外国人が増えてから
長らく偽書だと言われていた頃ですが戦後はあつい『古事記』信者が増えました。
千年後には『日本書紀』『古事記』にいつのまにかアラーやエホバなど組み込まれているかもしれないですね。
アーメン🙏合掌
※画像はAIで生成しました。
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